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 いじめ

子供も大人も満たされていない。それがいじめの原因だと言える。
する方もされる方も満たされていくように。

“いじめ”という行為は、子供の世界で顕著になっているだけではありません。人が集まるあらゆるところに見られることです。そこでは、ひとりひとりの心にある“暗い部分”が形を成して現れ、しかもそのことによって深く傷つけられる者がいるということです。人々の心がそれぞれに満たされていれば、まずもって“いじめ”などというものは存在しないのです。しかし今の社会は、大人であれ子供であれ、ほとんどの者が何かしらの満たされなさを抱えているのですから、そういった者は誰でも、“いじめる側”になる可能性があるということです。そしてそこには、いくつかの心の要素の共鳴が必ずあるのです。そのエネルギーが、人を傷つけることを止められない原因ともなっているのです。

“いじめ”の要因にはいじめる側のさまざまな心の要因があります。
ひとつは「何となく気に入らない」ということ。明確な理由(あったとしても、本当は理由になどならないのですが・・・)がないのに、そういう気分だからというだけでもいじめは発生します。あやふやな理由のようでありながら、実は、とても大きなことなのです。
それはその人の醸し出しているエネルギーを感じているからです。そしてそのエネルギーが、その人の優しさであったり、細やかさであったり、気持ちの良さだったりすることが「許せない」のであり「いや」なのです。自分にはない、自分よりも強く大きく発している、そのエネルギーを持っていることが“気に入らない”のです。その人のエネルギーに触れることを喜びとできず、むしろそこで、それを持たない自分を思うからその違いを受け入れられないのです。おそらくそういう気持ちをかなり多くの人が持つのでしょう。自分たちよりも秀い出ている者を否定し、批判し、排除することで、持っていない自分を安心させたいのです。それはうらやみ・妬み・嫉妬がもとにあるのです。
これが原因となっている場合は、“いじめる側”の者たちの求めていることはよく分かるはずです。「自分(たち)をそのままで認めてほしい。」「自分(たち)だって評価されたい。」という欲求が満たされていないということです。成績を上げること、仕事をこなすこと、何かが上手くできること、そう求められ続けている彼らにとって、自分をそのまま認めてもらえる機会はめったにないのです。いつもさらに次を、いつもさらに上を求められるばかりだからです。それぞれが、それぞれとして、ありのままの姿を認めてもらえていれば、“何か”を持っている者と自分(たち)とを比較してその差を思い、ねたましく思ってしまうこともなくなっていくでしょう。自分が自分として認められることから安心を得られれば、自分以外の者のことも認めていくことができるようになるのです。「認めてほしい」と求め続けている間は、ほかの者を認めていく余裕がないのですから。
今の社会、学校は、認められる者とそうでない者との格差をつけることが前提となっています。そのなかにあっては、互いに認め合う気持ちを育てにくいのも確かです。それが生み出すのは、結局は競争であり、上下関係なのです。それが全ての人たちに心地良いはずはありません。
誰もが尊重され、認められるなかにあってこそ、それぞれの持つ、それぞれの輝きが発揮できるのです。

*誰かをいじめているあなたに
悪いこと、良くないことと知りながら、それをやってしまう、それは珍しいことではありません。しかし、知りながらそうすることは二重に過(あやま)ちを犯していることになるのです。もしも、誰もが、「分かっているけれど、やってしまう」ことを理由にしてしまったら、一体あなたのまわりはどうなっていくのでしょう。良くないことと分かっているならば、それを改めるのは簡単ですし、当然なのです。まして人の心を傷つけ、痛めつけることを続けることは決して許されない行為だからです。
「自分はそうしたくないけれど、しないと今度は自分がそうされるから」
これもまた同じです。その理由をあげて、一体何人の子供が、いじめる側に回ってしまったのでしょう。「いやだ」と思っている人はあなたひとりではないのです。誰でも心に「正しい」「正しくない」の指針を持っているのですから。
あなた方は、まず勇気を持たねばなりません。「するべきでないことをしない」のはごく当たり前のことなのに、今の状況では「勇気を持たなくてはそうできない」のが気の毒なほどです。しかし、ごく普通のところに存在し、蔓延している“いじめ”の風潮を打ち破っていくのはやはり“勇気”なのです。
自分がいじめられる側になることを恐れる人も、分かっていてもやってしまう人も、「正しさ」を貫いていく勇気、それを持ってほしいのです。初めは思ったようにはいかないかもしれません。しかし、「今のままでは・・・。」という思いがあるからこそ、このページを開いたのです。状況を変えていく意志の芽生えがあるからこそ、このメッセージにふれる機会を得たのです。“自然におさまっていくもの”ではありません。自分たちの心(と体)を守るためだけでなく、そこからは、同じような気持ちでいる者たちとつながっていくのです。「初めの誰か」にあなたがなってください。

*いじめられているあなたに
「人として最低のことをしている」人(たち)を、あなたはどんな思いで見ているのでしょうか。「ひどい人」「もうやめてくれ」「耐えられない」------だから憎むのでしょうか。恨むのでしょうか。それとも何も考えられないのでしょうか。それとも「何てかわいそうな人(たち)」と哀れに思えるのでしょうか。彼らの心はあなたより“すさんで”いるのです。自分が持っている弱さ、恐れ、苛立ち、どうしようもなさを自分ではどうすることもできず、人の心や体へ向けてしまっているのです。人として正しくないことだと分かっていても、です。なかには“良心”すら見えなくなり、人の痛みを感じられなくなっている人もいるほどです。あなたは“いじめられること”でひどく傷つき、人の心の酷さを見せつけられました。同調してしまう人の心の弱さもずい分見ました。だからこそ分かるのです。人の心の美しさや強さが。人に優しくできることがどんなに素晴らしいことなのかが分かるのです。その時、優しくされた人がどんなに嬉しいのか実感として。いじわるや嘘、不正にゆがめられない正しさが、どんなものにも負けないことを知っているのです。そして、このメッセージを読んでいるあなたの心には、人としての優しさと正しさを人に向けていくことのできる力が宿っているのです。どんなにあなたを思い通りにしようとする者がいても、あなたの“心”はあなたのものなのです。そのことに自信をもってください。深く傷つき、希望を失いそうになりながらも、ここにつながるということは、その状況を変えていこうとする意志の芽生えがあなたの心にあるからなのです。
人の心の正しさと優しさとを十分に知ることのできなかった彼らは、体は育っていても心がまだまだ未熟なのです。苦しく辛く寂しいなかにいたあなたは、それをすでに知っているのです。そういう彼らでさえも、いずれ、正しさ・優しさを知っていくのではありますが、あなたとの関わりのなかで知ることができれば、この先、どんなにか変わっていくことでしょう。「先に知った者」は「まだ知らない者」に教えていくしかありません。そのためにも、「あなたの気持ちを分かる人が必ず現れてくれること」「力をかしてくれる人が必ずいること」を信じてください。
満たされていない彼らが変わっていくことができるとすれば、優しさや正しさの素晴らしさを知る、あなたの様子を見ることが、その機会のひとつとなるということなのです。あなたのような思いをする人がいなくなるように、誰もが認め合えるように、社会も学校も変わっていかねばならない時期なのです。その時期に辛い経験をしたのは、それを変えていく役割があなたにあるからなのです。“人間”が好きで、“人の心”に触れることが嬉しいあなただからこそ、やっていけることなのです。