霊界通信 「悩み・トラブルを抱えている人たちに」悠々塾ホームへ

 偏狭な宗教(的)団体との関わり

あなたの心を救うのは、何かにすがることではない。
人の心にある優しさと正しさこそを信ずるのです。

このことを悩みとする人たちは、そういった団体と関わってる本人よりも、むしろその家族の方でしょう。その人がいつの間にか自分たちから離れ、明らかに“おかしい”と思うような行為行動をし、発言している。それはその家族にとって信じられない出来事であり、悪夢だと思えるほどのことです。
何とかその人を自分たちの元へ取り戻したいと思った時、それを阻むのは、その団体の頑(かたくな)な姿勢であり、また、本人の強い意志(動かし難い気持ち)です。そういった状況のなかで、まず考えて頂きたいのは、その人が何かにすがらずにはいられなかったということです。「こんなところに入り込んでしまって。」とあなた方が思うようなところから離れられずにいるのは、その場に喜びや希望を見てしまったからなのです。確かに、人の弱味につけ込み、金銭や名声・評価を求めるために存在しているような団体は数多くあります。しかしそこに人が集まるのは、それぞれの人たちが、それぞれに「確かな(だと思いたい)もの」を求めていたからなのです。
それを理解したうえで、その人を自分たちの元に取り戻すべく行動するのです。“動かし難い”と思われるその人の気持ちは、求める気持ちと与えている者との間のエネルギー的な共鳴によって作り出されているものなのですから、(いわゆるマインド・コントロール)それをはずしていくには、その人を理解(分かろうと)し、また温かく受容し迎え入れようとするあなた方の愛情のエネルギー(の共鳴)なのです。力ずくで何とかしようとしても、その人の心は動かしにくいのです。“力”よりもっとその人に響くもの、それがあなた方からの愛情のエネルギーなのです。
直接その人に会えないとしても、心のエネルギーは必ずその人に届きます。家族・友人という心の縁を結んでいる者どうしの“つながり”があるからです。
にわかには信じられないかもしれません。けれども、可能性のあることを信じて、その人のために、自分たちの気持ちを向けることに、何の抵抗があるのでしょうか。本当ならば、その人が救いを求めていたのは家族であり友人だったはず。しかしそこで与えられなかったからこそ、外に求めたのです。その苦しかった気持ち、寂しかった思いを、思いやり、皆でその人への気持ち(愛情)のエネルギーを送り、一日も早く気づくことを願っていくのです。

「何かおかしい」と思いながらも、宗教的団体に関わってしまうことを繰り返す人もいます。絶えず“何か”を求めているからです。ある人にとっては「生きているという実感」であったり、またある人にとっては「信じられる確かなもの」であったり、また別な人にとっては「特別な力」であったりします。誰もが、自分のなかに「生きる喜び」を抱くことができないだけでなく、「確かな手ごたえ」を感じられずに日々を生きているからこそ求めるのです。その意味で、こういった悩みを持つ人は、自分の心の声に耳を傾けようとしたのだとも言えます。“本当に生きていない自分”の姿に、多くの人は気づかぬふりをしたり、初めからあきらめていたり、見るまいとしたりします。そこに向き合えば、どうしていいのか分からないからです。しかしあなた方は、そういう自分を見、どうしていいのか分からないからこそ、見えない世界、見えない力を掲げる“宗教”に惹かれていったのです。そこにつながって真理という、確かなものを手にするために。
しかし実際は、そういったあなた方につけ込んで、“何か”を得ようとする団体がほとんどであったはずです。けれども見えない世界に真理があるのだと感じ、それを求めるあなた方は、なかなかそこでは見極めがつかなかったのです。巧妙な手口やまことしやかな言葉を操る者たちはたくさんいますし、強く求める者はそれだけ影響を受けやすいのですから。
ここでしっかりと見てください。
あなたが関わっているところは金銭を集めることを目的とはしていないか。
論理性を欠く数々の言葉をあたかも“お告げ”のように言ってはいまいか。
そして何より大切なのは、その団体が人の心に喜びをもたらそうとする姿勢を貫いているのかどうか。見えない世界、心の喜び、愛情、全体の幸せといったものを語り、伝えるために、多額の金銭を要求する必要などどこにもありません。大がかりな儀式や派手な衣装も、もちろんそうです。つながるべきは心と心であり、伝えるべきは互いの喜びを広げていく言葉です。
これを踏まえて、何か違うと感ずるところがあれば、すぐにそこを離れることです。あなたが毅然とした態度をもって臨めば、断ち切ることのできる関係のはずです。恐れることはありません。人の心に不信を抱かせるようなところが、あなたの求めているところではないからです。

本来、真実と愛とを伝え、人の心に安らぎと喜びをもたらすはずの宗教が、残念なことに、今は“金もうけ”の手段とされている場合がとても多いのです。
地上に生きるあなた方人間が、“神”の“全て”を知ることも語ることもまずもって不可能なのだということを知ってください。それだけでも見極める材料として十分役に立つことでしょう。あたかも、自分が全ての学びを終え、全てを越えたように言い放つ者ほど、“人としてのなすべきこと”も、“人としての思いやり”も持っていないのです。そういった者たちの言葉にまどわされず、あなた方は、人としてごく当たり前に生きていくこと、つまり、心の優しさをそのまま人に向け、正しさを貫こうという姿勢を崩さない、それを目指してください。そうするうちに、同様の心ある人々とのつながりがもたらされます。そうすればもうあなたは“何か”を求めて、いろいろな団体をめぐり続けることはなくなるでしょう。