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 摂食障害

食べることは体の求め。そのアンバランスのもとは心の寂しさにあります。
それを癒していく方法について。

「食物を自分の体に摂り入れること」は「(心の)エネルギーを取り入れること」を象徴しています。(心の)エネルギーは目には見えませんが、「人との関わり」のなかでは“交流”され、人から言葉や気持ちを向けられることで“受け取り(注がれ)”人に言葉や気持ちを向けることで“与える(注ぐ)”のです。
人には誰にでもさまざまな肉体的欲求があるのと同様、「心」にも欲求があります。自然と求めるものです。その深く強いものが「愛されたい」(「心を向けられたい」)というものです。そしてそれが“自分が思うように”向けられていない時、「寂しさ」「満たされなさ」という“かげり”が生じるのです。
それを外に発散して、「私は寂しい!」と表現するか、あるいは“寂しそうに見える状態”によって表現すれば、そこに心の焦点のあった人から、気持ちを向けてもらうことはあります。しかし、それらの寂しさ、満たされなさを表に出せない人にとって、その“かげり”は「何とかそれを得たい」という欲求を高めます。それが肉体・行動に反映された形として、食物を摂る、という行動となります。満たされない心の代弁をする体は、ひたすら摂り入れようとします。自分のなかに。しかし“もの”によって心は満たされないのです。次から次へと摂り入れても求めるエネルギーが解消されにくい。しかし、肉体的な限度までくれば、“満腹”というサインが否応なく発せられ、そのことによって「一応の安心」は得られます。けれどもそれは一応のものにすぎず、“満たされた心”を得たこととは違います。だからそれを繰り返すのです。吐き戻すのは、「この状態ではいけない」という心のブレーキであると同時に、再び“摂り入れる(得る)”という行為と実感を味わうための準備となってもいるのです。
その人の心が何によって満たされていくのか、細かいところでは人によって違いがあります。希望を見出せる事柄が少しずつ違うからです。しかし共通することは、「心配してくれる人」がいることよりも「愛情を向けてくれる人」のいること、「大切に思ってくれる人」「大切に扱ってくれる人」のいることなのです。そうやって、自分に(心の)エネルギーが注がれていることを実感していくことが、過剰な食物摂取をおさめていくことになるのです。しかし、そういった“心の問題”“かげりの要因”が強い場合は、霊的な影響を受けていることもあり得ます(憑依)。しかしながら、そのことを恐れたり心配するのではなく、注がれる愛情や思いやりを喜び、自らもそれに応えていく感謝の思いを持っていくことでその影響をはずすことはできます。いずれにしても“かげり”を“光”としていくのは愛情や喜びの心だということです。

一方、食物摂取に支障がある場合は、過剰な場合とは異なります。
基本となっているのは「自分という存在への自信のなさ」があります。特に、何かを失った時、(自分の心がそこに大きく注がれていた場合、人であれ物であれ)その大きな喪失感を自分の心の作用により、何とか和らげようとします。
失われてしまう心のエネルギーをそのままとどめ、心のバランスを保たねばならないからです。そうでなければ自分の心が生きていけないからです。それまでのようにしてはいられなくなるからです。心のみで処理しきれないことは肉体に反映されます。喜びのエネルギーが失われ、また、不足しつつある状態が反映されるということは、「新たなエネルギー源である食物を摂り入れないこと(結果として、肉体は“やせて”ゆく)」になるのです。
失ってしまった何かに代わる新たな希望や喜びがその人にもたらされれば、これらのことは解消に向かうでしょう。しかし、じっとしていてもそれは何の変化にもつながりません。無理に食物を体に入れようとしてもそれを受けつけないのは、むしろ当然です。心が、“求めること”を止めているのですから。この場合、何よりその人に手にしてほしいのは「安心」です。それが静かに「安定」をもたらし、取り入れまいとする“強い抵抗”はおさまります。そこから“意欲”や“希望”につなげていくには、まわりの人の支援が必要になります。肉体の衰えは心も同時に力を落としていることなのですから、自分で意欲を奪い立たせるのは難しいのです。安定したなかで、わずかずつでも足を踏み出していくために、脇を支えてくれる者が必要だということなのです。そしてこの状態からの回復は、それまで以上に、「人の心を信頼していくこと」という気づきをこの人に与えるきっかけとなることでしょう。
食物を摂取しにくいことのもうひとつの要因が「人の心を求めにくい」「求めることに抵抗がある」ということだからです。「自分の心に自信を持って、人の心と関わっていくこと。」それがこの症状を自分の身に設定することになった人の共通のテーマなのです。
このふたつを交互に繰り返す人は、当然、その両方の要因が重なっている場合です。
しかしいずれの場合でも、こういった状態にあるその人を支えてくれる人は必ずいるのです。勇気を持って心の援助を求めていくこと、それがこの症状改善の第一歩なのです。