霊界通信 「悩み・トラブルを抱えている人たちに」悠々塾ホームへ

 受験・進学・進路・中退

何のために“学校”に行くのか。
それを見定めることができなければ、苦しい思いをするのは子供なのだ。

今の社会の仕組みの基本が「格差」によって組み立てられていることが、そのまま子育て、教育に反映されています。社会で生き抜き、少しでも“幸せ”を手にできるようにと願う親たちは、その格差の、少しでも上へ我が子を位置させようとするからです。
もともと、人と人との間には“違い”があります。しかしそれは“差異”ではありませんし、そうとらえるべきものではないのです。違いがあるからこそ、多岐にわたる社会の要素があり、社会としての広がりやふくらみが出るのです。

それを“差異”ととらえたところから、優劣、優位、そして競争、というものが生み出されていったのです。
そこで“力”を手にするために、“教育”や“子育て”がその手段となったのです。ほかの人(子供)よりもっと点数がとれるように、もっと〜ができるように、もっと評価の高い学校へ行けるように・・・と。それがその子の“ため”になると信じ、また、そうしなければ今の社会では通用しないと、親は思い込まされているのです。
実際自分たちも、点数や学校、会社、というものによって評価されてきた経験のなかにいるために、「せめて子供は」という思いが強いのでしょう。そして、その傾向が親たち全般に共通のこととなるから、そこから離れて、「何がこの子にとって最も望ましいのか。この子は本当はどうしたいのか。」という目をもって受験や進学を見ることができないのです。「その子のため」と思うことが、逆に「その子のためにはなっていないこと」がままあるのです。

今の子供たちは、生まれた時から「格差」のなかで生きています。ですから、初めからあきらめているのです。差があること、差をつけられること、差をつけることに。その意味で、いつも自分は「位置(ランク)づけられて」いるのです。
「本当はこんなことがしたい。」という自分の本当の気持ちを正直に口にはできません。言ってもそれはとりあげてもらえず、また、こういう自分には無理だというあきらめが初めにあるからです。彼らもまた、点数やランクづけによって振り分けられていく流れのなかに身をおくしかないのです。<br>なかには自分の気持ちを思い切って主張する子もいます。しかし大抵の場合、親や教師の言葉によってかき消されてしまうのです。

受験も進学も、その子がどうしたいのか。何を求めているのかをまず第一に考えてあげねばなりません。本来ならば、学ぶことを求める者には機会は等しく与えられるべきなのです。それを振り分け、拒絶することはその子の能力や可能性の芽を摘むことにほかなりません。学ぶ機会を得るために点を争うなどということは、本来あってはならないことなのです。

しかしながら、まだ社会の仕組みが大きくその流れを変えたわけではありませんから、“今”直面している人たちにとっては、“今”どうするか、それが問題でしょう。
子供たちの声をしっかりと聞かねばなりません。大人が勝手に彼らの行き先を決めるべきではありません。“相談に乗る者”はもちろん必要です。しかし、あくまでも考え、選ぶのは彼らでなければなりません。(よってまだ幼い子供に受験させようとするのは親の気持ち以外の何ものでもないのです)
自らが選択した道に関しては彼らは責任を負うのです。親や教師が選び、点数によって振り分けられた先で、彼らに「意欲をもて」と言っても、それは無理な話です。人に決められ、そこに自らの意志が反映されていなければ、いきいきとやっていけなくて当然です。
もちろん、それぞれの子供の持つ能力に違いがありますから、それに応じてということに(結果的には)なっていくのです。しかし大事なのは、彼らが自らの意志で自らの方向を選んでいくことなのです。そこでもし、うまくいかなかったとしても、彼らは何かを得るのです。自らの選んだ目標であるならば努力も惜しまないはずです。自らの進む道すら“与えられて(あてがわれ)”“決められて”しまう人生に、喜びや希望を持てなくなるのは当然です。そうやって進んだ先で、彼らがどうなっていくのかは、今、あなた方はよく分かっているはずです。
本当にその子の“ため”を考えるのであれば、その子を信頼し、任せることです。それまで先回りし、決め、選んできたことをやめ、自分で選ばせていくのです。それが彼らの生きる力と自信とを育むこととなるのです。
これから受験・進学を控えている人、またはその真直中にあるあなた、今、進もうとしているところはあなたの気持ちと十分かみ合っていますか。「本当はこうしたかったけど、そうさせてもらえなかった。」という気持ちは残ってはいませんか。どうしても力が及ばないのは仕方ないとしても、自分の希望していることがありながら、それを抑えているのだとすれば、そのままであなたの力は発揮しきれません。ここから先は、あなた自身の進むところなのです。先生も両親も(本当のところ)ずっとあなたの代わりにあなたの人生の責任を負うことになどならないのです。ですからそこではあなたの「意志」が最も大切だということになるのです。
どうしたいか、何をしたいか、どう思うか、がまず初めにあって、ならばどうするのか、が次にくるのです。意志があるから方向が定まり、また、進む力が発揮されるのです。人まかせでなく、あなた自身が“生きる道”なのですから。
自分の気持ちを正直に見て、それを“目標”として掲げたならば、それに向かって人は力を発揮できるのです。もし、思う通りにはいかなかったとしても精一杯努力したことは必ず報われるものです。
もしも何かで心に“ひっかかり”があるのならば、そのまま進む前に話をしてみてください。勇気を持って。心からの納得ができないままに進み続けることは、あなたにとって決して“嬉しい結果”にはつながりません。あなたが自分の心をありのままに見た時、今、進もうとしている方向とは違ったものがもしも見えても、心配することはないのです。生きていくことは、幾度でも“修正”できるのです。失敗することや迷うことを恐れずに、自分の「本当の気持ち」を大事にしてください。

「中退」とは決して否定されるべきものではありません。親にしてみれば「せめて〜は、」という思いがあるでしょうし、そうすることがその子にとって“不利”になるとの思いがあるのですから。しかし、心をそこに置いておけない場で「学ぶこと」を強制されても、彼らには何の喜びもなければ、彼らの力にも、彼らの“ため”にもなりません。ただ虚しさや、無気力が心を覆うだけです。彼らはそれに耐えられないのです。本当は自分も何かを一生懸命やりたいのです。本当は自分だっていきいきとしていたいのです。認められたいのです。そこにとどまることだけが彼らにとっていいのかどうか。彼らの気持ちはそこで満たされていくのかどうか。その視点で彼らを見て頂きたい。

「学校を辞めたい」と思うあなたは、今いるところには何の喜びも楽しさも見出せないのでしょうか。ただ何となく行くのがいやだからなのか。それともほかにやりたいことがあるからなのか、それとも、全く勉強が分からないからなのか。その理由によって、あなたのするべきことは変わってくるのです。
ほかにやりたいことがどうしてもあるならば、それは、自分がそれに責任を持つことで親と話をすればよろしい。真剣に。
勉強が分からなくて辞めてしまいたいのであれば、分からないままでいいのかどうか改めて自分に問うてみなさい。「分かりたい」という気持ちがあるのなら、それを恥じることなく教師に伝えたらよろしい。その意欲があるならば、たとえ初めは分からなくとも、分かるところまでさかのぼり、そこに積み上げることはできる。
ただ何となく辞めたい、というのであれば、それが最も難しい。ただあなたがまだ「自分が本当にしたいこと」を見つけられずにいることだけは確かです。「それを見つけていきたい」と求める気持ちが芽生えれば、少しずつ変わっていけるはず。別のものを見つけていくのか。今いるところに何か気持ちがひかれていくのか、それはその人それぞれに違うでしょうが。何もせず、何も思わず、ただいるだけでは何も変わりません。それであなたが本当に幸せというわけでもありません。あなたは今まで自分の本当の気持ち、というものを見ないまま育ったのでしょうから、これから初めてそうしていくのです。

“力”や“格差”によって形づくられる社会は、これから社会を担おうとする者たちの心をも苦しくする状況を作ってしまいました。この社会がこのまま続くことには無理がありすぎます。押しつぶされている人々の心が、そこからの解放を求めているからです。それは同時に、子供たちの心でもあるのです。