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 何かに“悔い”を持っている(後悔)

とり返しがつかないと思っても、自分の心に正直になれば、それを埋め合わせることはできるのです。
勇気を。

「人はどうあるべきか」「どうするべきか」それと逆行することをしてしまった時、あるいはすべきことをしなかった時、あなた方は後々までそれを心にとどめます。それが悔い、後悔です。さらには「本当はこうしたかった」「こうしたくなかった」という自分の気持ちと違う行動に出た時にも同様に悔いや後悔を持ちます。
悔いや後悔を持ってしまうのは、本来あるべき姿や、自分の本当の気持ちを知っているからこそです。それに沿った行動をしなかった、できなかった自分の姿も見えているからです。そして“それでいい”“それでよかった”とは思えていないからこそです。

拭えない後悔があるならば、そしてそれを解消したいと求めるのなら、まず初めに、しっかりと確認してください。「自分はどうするべきだったのか」「本当はどうしたかったのか」ということを。
相手のあることで、ましてそれがその人を傷つけるに至ったことならば、たとえ時間の経過があったとしても「詫びる心」にならねばなりません。それが伝えられない状況であれば、その人へ向けて、(その人を思い描いて)謝罪のエネルギーを送ってください。言葉を発しながら、心から。もちろん、それで全てが済むということではありません。しかし、その気持ちを持つことができれば、それを埋め合わせるような機会は必ずもたらされるものです。その時に、素直に自分の心を“優しさ”の方へ向けて行動することを忘れないで下さい。もしくは、自分が何らかの形で、心傷つくようなことがもたらされるかもしれません。その時は、その相手を憎んだり恨んだりすることよりも、「傷つけられた者の気持ち」を知ったのだと理解して下さい。

自分がその時、“そうしなかったこと”で悔いが残っている時、同様に、それを埋め合わせるような機会は設定されます。
(それも、「自分はそうすべきだったのだから、次には必ずそうしよう」と意志した結果としてもたらされます。)そこでは、それまでの“悔い”を、学びとするならば、勇気をもって、“そうする”のです。人が何と言おうと、人にどう思われようと、“そうすべきこと”を貫いてください。それがたとえうまくいかなかったとしても、少なくとも“後悔”をすることはありません。力が及ばなかったこと、うまくいかなかったことよりも、一歩踏み出して、“そうできたこと”を評価し、“そうすべきこと”を貫いた自分を認めればいいのです。躊躇や、「どう思われるか」という抵抗感にとらわれず、人としてあるべき姿に従って動けたことは素晴らしいのですから。

人としての言動を阻んでいるものの大部分は、その人なりの感情です。「こうしなかったらどう思われるか」「こうしたらどう言われるか」「こうすべきだが、自分は気が進まない」「こうすべきでないのは分かるが、自分がそうしたい」、また、そうでなければ、まわりのせいにしてしまうこともあります。「自分はこう思ったが、あの人が〜だったから。」「自分はこう思わなかったのに、まわりが〜だったから。」
「人としてなすべきこと」はいつも同じです。
それが「人として正しいこと」であれば、たとえ自分が、まわりがどうであれすべきなのです。それが「人としてすべきでないこと」であるならば、自分の都合や感情、まわりの言い分に左右されず、すべきでないのです。
今の地上の人々のほとんどが、この、「本来こうあるべき」というところよりも「自分が」「まわりが」というところをもとに動いてしまっているのです。それが悔いや後悔を生むのです。
しかしそれもこれからは変わっていく時期を迎えるのです。人が人としての正しさと優しさとに基づいて関わり合うのでなければ、人々は幸せにはなれないからです。自分の都合や感情という偏りに左右されたままでは、互いに喜び合うことはできないからです。
誰もが本当は知っているのです。人がどうあるべきか、は。それに沿って言葉を発し、行動していく勇気を持ってください。そうしようとしているのは決してあなたひとりだけではありません。正直に生きようとする者こそが報われる社会に変えていくのは、あなた方ひとりひとりのそういった“勇気”なのですから。