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 嫉妬・妬み

ほかの人と自分とを比べることがあなたの心をくもらせるのです。
あなたはあなたとして生きればそれで大丈夫。

あなた方、地上に生きる者たちの、“かげりの心”のもとは、「他と自との比較」つまり“比べること”にあります。比べることによって、自らの優位性を確認して安心したり喜んだりする。劣っていると思うと、それによって自分を否定したり相手をうらやんだりする。そして、さらに自分以外の者に与えられていること、自分以外の者が手にしていることについて喜んで受けとめられないようになる。-----それが、嫉妬であり、妬みになるのです。そこには、その人に対する“うらやみ”以上に、反感・攻撃性といったより、積極的なエネルギーが含まれますから、そのために、その人に対して“かげり”の気持ちのみではなく、言葉・態度・振る舞いとして表れます。
人と人とは本来、その“違い”を認め合い、それに基づいて、補い合い、助け合い、支え合います。多くを与えられ、手にしている者はそれに見合っただけ、与え、もたらすことが求められます。“違い”とはあくまでも「格差」ではない「差異」でもないのです。比較して心をかげらせるためのものでもありません。より、喜び合うことへの材料となるものです。

人が地上に生まれるのは、人々全体へ何らかの形で自分が貢献していくためだとも言えます。それは自分の働きや役割によってその力を発揮しつつ、喜びをもたらしていくということにほかなりません。力や能力、容姿、物質、金銭、その他、与えられているもの全ては「役立てるため」のものなのです。
手にしている、与えられた、というそのことだけに意識がいって、手にできない、与えられない自分とを比べるからそこに心がかげるのです。多くを手にすることが多くの責任を負うことなのだと知ってください。得ることや思い通りになることが幸せなのだと勘違いしないでください。
本当の喜び、本当の幸せは、いかに自分を役立てることができるか、いかに人に喜びをもたらすことができたか、によって実感できるものなのです。

自分にのみさまざまなもの(物、金銭、評価、・・・)を集めようとすることは、循環のなかで成り立つべき地上界に滞(とどこお)りを生んでいることなのです。それが全体に対してどんなにか不調和をもたらすことか。その役割を自ら演じてしまうのは、何と悲しいことでしょう。自分では、自分が手にすることで「喜び」を感じているのかもしれません。しかし、その手にしたものは、人と分かち合えない喜びであり、共有できない喜びであり、自分のみに意味のある喜びでしかないのです。

嫉妬や妬みは、喜びの奪い合いに通ずるものですし、人に喜びをもたらすべく生きるはずのあなた方本来の生き方に逆行するものです。この感情の渦のなかに今、あなたがいるのだとすれば、まず、自分が自分のなかに暗黒界を作っているのだと知ってください。それほど「解消しなければならない感情・かげり」だということです。今の地上界が、思いやりと優しさにあふれた世界になっていくためには、「人の喜びを自らの喜びとできる」ようにあなた方が変わる必要があります。それは、人にもたらされるもの、もたらされる喜びに対して、嫉妬や妬みを抱かないだけでなく、そこに心を合わせられるということなのです。それが喜びの循環につながるのですし、ひとところにとどめようとすることもなくなるということなのです。

人を妬んでしまうということの裏には、自分には与えられていないという不満・悲しさ・寂しさが確かにあります。しかし、何もかも与えられていないのではないのです。人にはそれぞれ、必ず与えられているものがあるのです。その恵みに気づくことができずにいるのは、人の手にしているものばかりを見ているからです。自らの手元を見てみれば、“喜び”とできる何かがあるのです。それは今あるもので満足しなさい、ということではありません。目指すもの、求めるものに向かう心はもちろん大事です。今の自分を十分に喜び、感謝することができると、次にもたらされることへ向けての動きが始まるのです。手にしていない、与えられていない、という不満のなかからは何も生まれてはこないのです。あなたがあなたとして精一杯、人に優しくし、思いやりをもって生きようとしていくこと、それが喜びにつながっていく道なのです。