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 大事な人の死期が近づいている人に

直接言葉を交わせる間に、あなたの心を素直に伝えるのです。
愛していることも、感謝も、ねぎらいの気持ちも。

大事な人が、やがて側からいなくなってしまうことは、とても寂しいことです。姿を見ることも、声を聞くことも、触れることもできなくなる、それを恐れ、避けたいと思ったとしても無理はありません。しかし、人にはそれぞれ“定められた時期”があります。それは誰にも変えられません。なぜなら、その人自身が、地上に赴く前に決めてきたことだからです。
避けられず、逃げられない“死”ならば、残された時間を、あなたは精一杯“喜び”のために使わねばなりません。その人を、あなたがいかに大事に思っているか、いかに愛しているか、をしっかりと言葉で伝えておかねばならないのです。たとえその人の意識がないとしても、その人の耳元で、言葉にして伝えてください。その人の心は、それを受けとるのですから。
その人に意識があり、あなたが気持ちを伝えても、それに応えてはもらえないかもしれません。心からの言葉を交わし、喜び合えることがいちばん望ましいことなのですが、その人自身も、ありのままの心を見せることができなければ、“一方通行”のような虚しさを感じるでしょう。しかし、それがあなたにできることなのですし、また、その人にとっては、最も輝く心の財産となるのです。そのまま地上を去るときに、心に注がれた心からの言葉は、強く大きな光としてその人を包むのです。まして、それを喜び合えたのであればなおさらそうです。

しかしながら、ここで「死期」とは何かを考えて頂きたいのです。人は地上に赴く前に“その時”を決めて来ると伝えました。それが本当の“死期”です。それは医師が決めるものでも、地上にいる本人が決めるものでもありません。人の生き死には、人が決定するものではないのです。もちろん自らが設定してきた“その時”と医師の宣告とが重なることもありますが、それが全てではない、ということです。たとえどう言われていても、さらに地上にとどまって、地上に生きることがその人にとって必要であるならば、“宣告”通りにはならないのです。ですから、“希望”や“願い”は手放してはなりません。その人に伝えたあなたの気持ち、愛情や感謝やねぎらい、それだけでの思いがあるのなら、その心のエネルギーによってその人を癒していくのは可能なのです。もちろん、“癒しのエネルギー”による治療をする者たちの手助けを借りることも含めて、ですが。
人が癒されていくに必要なのは“喜び”のエネルギーなのです。それを共鳴させ、高め、その人に注ぐことによって、“奇跡”と言われるようなことは起こるのです。それは、決して珍しいことでなく、よくある話です。「何々で、〜が治った」という話もよくあることですが、それは、その物質そのもののエネルギーと、使う者、与える者、それに関わる者たちの心のエネルギーとが共鳴したからこそ起こったことなのです。
全ての人にそのようなことが起こるとは言えません。“その時”は来るのですから。しかし、決してあきらめず、希望と願いを抱き続け、そのために心と体とを使っていくことが、その人の「言われている“死期”」を「死期」としない結果につながっていくのです。その“可能性”があるのだということを知って頂きたいのです。

精一杯のことをしても思うような結果が得られない場合は、もちろんあります。癒される可能性はあっても全ての人がそうなるわけではないからです。しかし、それだからと言って、そのことが無駄であり、無意味だったかというと、そうではありません。その人は定められた時に従って地上を離れたのですから、それで良かったのです。そして、あなたが精一杯尽くしてくれたその心からのエネルギーを身に受けたのですから、あなたの思いは十分その人の役に立つのです。地上を離れれば、者や形や肉体ではなく「心」そのものが世界を作っているのです。あなたから注がれた心はそこでその人の力となるのです。その人自身も苦しさや辛さのなかにいるのではありませんから、「やれるだけのことはやったのだ」ということを認め、安心していいのです。その人があなたに対して不足を思うことなどなく、むしろ向けてきてくれるのは感謝なのですから。