緊張・あがり症
人からどう思われるかが気になるから緊張する。
ありのままの自分でいることが、いちばん力を発揮できるのだ。
誰でも、何かをする時に、「うまくやろう」とするものです。まわりに人目があればそれは余計、強まります。やろうとすることに慣れていたり、自信があったりすればさほど緊張することもないのでしょうが。「失敗したらどうしよう」という不安や恐れもまた、緊張の原因となります。それは否定的に思われること、評価を損ねることへの恐れです。緊張は心を極度に張りつめた状態にするわけですから、その心の硬さは当然肉体にも“硬さ”“硬い動き”として反映されます。そしてそれが理性的な判断や意識にまで影響を及ぼしている状態がいわゆる“上がった”状態だと言えます。
人にどう見られるか、どう思われるか、ということを気にしないでいられる人は、たとえ多少の緊張があったとしても、そこでは自分のしようとすること、伝えようとすることの方へ意識を集中できますし、もちろん、力も発揮できます。
人から見た自分を思うのか、それとも、その時自分のすべきことに意識を向けるのか、その度合いが、すなわち緊張の度合いとなるのです。どういう結果になるかということよりも、自分がどれだけ“やろうとすること”のなかに意識を向けられるか、なのです。
もちろん、さらに余裕のある時は、まわりの者の反応を見ながら自分のなすべきこと、伝えるべきことを進めていけるでしょう。それは特別な人でなくとも、自分のしていることへの確信や、しようとしていることへの信頼、または、その意欲があれば、誰にでもそうなることはできるのです。
「失敗を恐れるな」と言われても、結果は気になるものです。それは致仕方のないことです。しかし、自分なりに力を尽くしてもうまくいかなかったり、失敗してしまった時に、素直にそれを認め、対象があれば詫びること、それで大丈夫なのです。不十分なところがあったにせよ、そこではあなたの、それに込めた気持ちは伝わることになるのですし、何より、対応の誠実さが大事だからです。それが、自分ひとりが負うものであるとすれば(例えば、競技、試験、発表)「やれるだけのことはやった」、そのこと自体を自分に認めるしかありません。機会はいずれ必ずめぐってきます。(もしかしたらそれは違う形でかもしれませんが)。その時には今回よりさらに力を出せるようであればそれでいいのです。
どんな自分であっても、今出せる力は、今出せる分だけなのです。それを決めていくのは、あなたがどのくらい自分らしくいられるか、にかかっているのです。ありのままのあなた、普段通りのあなたでいられれば、力を出しきることを阻むものは心にも体にもないのです。
そう思い切れた時、緊張や上がることから解放されるはずです。なぜなら、いつものあなたであることとは、人の目を意識しすぎていないあなただからです。どんなことにも喜びながら向き合えるように、あなた方はさまざまな場面で、自分をさらす機会が与えられているのです。恐れずに、与えられた機会に自分の力を発揮できるよう、力を尽くしてください。