家族ということ(概論)
今回の人生で、家族として共に暮らすことは、予め(あらかじめ)霊界において約束したものです。夫婦・兄弟・親子といったつながりを作ることで、かつての人生で互いの間に作ってしまった“かげり”(それをカルマと言います。)に向き合わざるを得ない状況を設定するのです。日々の暮らしを共にするということは、それぞれの課題に触れる機会がより多く与えられるということなのですから、それによって互いの間のカルマもはっきりと表に出るのです。そのなかで和やかな家族・家庭として共に生きることを目指すのです。それは互いの間にあるカルマの解消が成されてこそ得られるものだからです。
しかし家族としての縁を結ぶのは、それだけが目的ではありません。それぞれに課題は持ち寄りながらも、互いの間においては、大きなカルマを有せず、むしろ互いの協力・協調によって、より喜び合える家族を目指す者たちの集まりもあるのです。(けれどもこの場合は、ごくまれです)。
そしてさらに、特に夫婦間において、“目指すもの”が「共に生きる」ことではなく「互いの違いをしっかりと認め合ったうえで、それぞれにふさわしい生き方を選んでいく」場合もあります。この場合は、かつての人生で縁を結ぶべきではなかった者どうしの集まりであり、それぞれにふさわしい生き方を選ぶことこそ、互いにとって最も喜ばしいことにつながるのです。しかし、互いの違いをしっかりと認め合うに至るまでには、双方の心が通うという場合と、その逆で冷静に双方が相手を見極めていく、という場合とがあります。
“家族”とは、傾向の違うエネルギーの者たちが集まることで、和やかさに加え、より大きな喜びを響き合わせていくという目的があります。社会の最小単位である“家族”が、そこにあるカルマを解消し、喜びを共有しながら共に生きることができるならば、“社会”という全体にも必ずその影響は及びます。
家族という個人的なつながりの集団の変化は、“社会全体”にも表れるのです。
個人と家族、個人と社会、家族と社会、それらは全てつながりのなかにあり、レベルを変えた個と全体だからです。