霊界通信 「悩み・トラブルを抱えている人たちに」悠々塾ホームへ

 人間関係(職場、学校、近所)

人と人との関わりには必ず意味がある。
それがトラブルであれ何であれ、よりよき人間関係を作るには?

地上界が霊界と違うことのひとつに、「さまざまな学びの段階にある者たちが同じ次元で、関わり合いながら暮らす。」ということがあります。「世のなかにはいろいろな人がいる」というのはこのためです。同じひとつの出来事をめぐって、人々の反応が違い、また、行動のし方が違うのはそのためです。霊界においては学びの程度の同じ者どうしが共に暮らしています。それぞれの段階より進んだ者とも遅れた者とも共に暮らすことはできません。なぜならエネルギーの波長が違うからです。違う波長の者どうしの間には“共鳴状態”は得にくいのです。(もちろん、より次元の高い者が意識的に波長を下げて、より次元の低い者に合わせようとする場合もあります。しかしそれは、“共に暮らす”ということではありません。)

地上界がそういう場であり、かつまた、それぞれがカルマを背負い、しかも人と人との間にもカルマが存在する。ということは当然ながら人と人との間に“共鳴状態”のみがあるのではなく、むしろ不調和の状態のある方が一般的だとすら言えます。共鳴する者どうしの喜びによって学んでいくのが霊界ならば、地上は不調和の生じている者どうしのかげりを光に(喜びに)変えていくことが学びになる場なのです。
本当に気が合ったり、助け合うことができる間柄であるならばそれを大いに喜んだらよろしい。そこで得られる喜びは、あなたが直面するさまざまな出来事において、あなたを支えるエネルギーとなってくれるのです。

いかなる場所で、人との間にトラブルが生じたとしても、そこを流れる一貫したテーマは、「互いが喜び合えるようになっていく関わり」なのか「理解し合ったうえでいずれ関わりがなくなっていく」のかの、どちらかです。前者の場合は、理解し合い、分かり合うことによって喜びを共鳴させていくことが目標ですし、後者の場合は、理解することによって互いの違いを納得し、生きる場が分かたれていくということです。
いずれにかに至るまでに双方ともに苦しい思いをすることになります。それは、今より前の人生で、同様の思いをさせてしまったことの埋め合わせの場合もあれば、同じ思いが繰り返される場合もあります。

人と人との間に“トラブル”が生じてしまえば、互いにとって、きっかけが何だったか、どうしてそうなったかということよりも、「自分がどんなに苦しいか」「自分がどんなにいやな思いをさせられているか」しか見えなくなっていきます。どちらもが今の状態を解消して今よりもっと気持ちを軽くしたい、と思っているのに、です。「自分の気持ち」のみに心を合わせている間は問題の解決には至りません。本当に「解消したい。」と思う者から先に、「相手の状況・立場・思い」に目を向けることなくしては事態は動かないのです。それが歩み寄るということです。相手の心に近づくということです。その一歩目があって初めて、その両者は互いの間に生じたかげりを乗り越え始めることになるのです。互いに今の“自分の場所、立場”から動かなければ、それはどちらともが「心を動かさない」ということだからです。<br>事態が重くなればなるほど動くのが難しくなるのは当然のことです。しかし、誰もが求めている「和やかに、仲良く」ということや誰もが分かっている「人と人は仲良くあるべきだ」ということに素直に沿っていこうとする“勇気”を持って頂きたいのです。
人との関わりを「悩み」としてしまっている場合、“悩んでいる自分”を見てさらに気持ちが沈んでいくことの悪循環のなかにあなたはいます。
しかし、「どうしようもない」と思うことでさえ、必ず解決の糸口はあるのです。悩みの対象となる特定の人がいる場合は、「その人の、表には出ていない気持ち」をまずは思ってみることです。「どうしてその人はそうなのか。(どうしてあなたに、そうするのか)」もしも分からなければ、「自分には分からない“何か”がその人をそういう言動に動かしてしまうのだ」という“理解”をしてあげてください。悩みのタネとなっているその人に対して、あなた方が寛い心で対応すること、大きく理解していこうとすることが、互いの間にある“見えないつながり”に影響を与えるのです。

人と人とはつながっていますから、一方の心の変化は必ず相手の心にも作用するのです。それがよく言われる「自分が変わることでまわりも変わる」ということです。あなたが、人と人との間にある、あるいは特定の人と自分の間にある、不調和な状態を解消したいと思い、「分かっていこう」とし始めた時からそれは作用するのです。

どんな人にも「どうせ分かってはもらえない」と思っている“心のかげり”があります。それは寂しさであったり、満たされなさであったり、自己嫌悪であったり、報われなさや後悔であったりします。そういったものがその人の言動に影を落とすのです。人には見せないそういう心のかげりを抱えながら人は生きているのです。そして多くの人はそれを光りに、喜びに変えることがなかなかできずに苦しいのです。
あなた自身にいくつものかげりがあるのと同じに、トラブルの相手、悩まされる相手にもそれがあるのです。漠然としたものではあっても、誰もが抱えているであろう“かげり”が、その人にそうさせるのだと分かってあげられれば、相手に対する見方も変わることでしょう。
どうしてもあなたの心が通じないという相手には、“祈りの心”を向けることです。そこまで心をかげらせてしまったその人の心が、どうぞ癒されますよう、そしてその人本来の心を取り戻してくれますように、と。
さらには、自分自身の言動に立ち返ることも大切です。自分に至らないところは全くなかったと言えるのかどうか。やりとり、対応、触れ合うことのなかで、不十分さがありはしなかったか、というふうに。

人と出会って縁を結ぶということは、そこで“学び合う”必要があるからこそのこと。互いの心を思いやり、より喜び合える関わりを目指しての学びです。
互いの喜びをより大きくしていくための出会いと関わりにできるよう、相手を、人を、より分かっていこうとすること、このことを解決の手立ての第一歩としてください。