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 憑依について

霊とは決して怖がる対象ではありません。
その仕組みを知ることで、迷っている霊も地上の者も癒されます。

地上を去った後、ほとんどの者は本来戻るべき霊界へと近づきます。しかし、その準備を整えることができずに、地上近くにとどまる者もずい分といます。その者たちを“憑依霊”“地縛霊”などと言います。彼らは、あなた方の言い方だと“迷っている”状態であり“成仏できていない”状態です。しかしそれは、その霊自身が、「そこから抜け出したい」と思うのにそうできない、ということではありません。
彼らのように地上近くにとどまるのには大きく分けてふたつのパターンがあります。
そのひとつは“自殺”によって地上から離れた場合です。逃れたい、忘れたい、どうしようもない、という自分の苦しさから逃げるために「死ねば終わる」「死ねば楽になる」「天国へ行ける」と思い、自ら“死”を選んだのでしょうが、そうはいかないのです。自殺の場合は、与えられた生命を全うする、という原則にそむくわけですから、本来の地上を離れて後の流れには乗ることはできません。いかに苦しくとも“その時”が来るまで精一杯生きることが人の努めだからです。人の生死を地上の者が左右することは許されてはいないのです。
終わるはずと思っていた心の苦しさは、その人が肉体から離れても続いています。地上を離れる時に抱いていた心のかげりが作り出す世界に生きるのです。
もうひとつは、何らかの理由で地上を去るには去ったのだが、どうしても拭えない“感情”が強く残っている場合です。それは人によりさまざまです。悲しい、寂しい、悔しい、恨めしい、憎い、欲しい、手放したくない・・・・。そしてさらに、思い通りにしないと気が済まない・・・。それらを手放すことができずにいれば、その心が作り出す世界に生きることになるのです。
この両方のパターンにおいては、彼らは地上の者に近い“心の状態”ですから、本来の霊界よりも、地上の者の心と、より共鳴しやすいのです。
地上に生きる者たちも、日々の暮らしのなかで、絶えず何らかのことで心にかげりを生じさせています。その“かげり”は彼らと共鳴し、引き合います。地上の者の抱くかげりが深いほどその“引き合う力”は強くなり、引き寄せられて来た彼らは、地上の者の心とつながり、そこから離れなくなるのです。それを憑依というのです。それは、憑依された者も、まわりの者も気づかない程度のことから、明らかに本人やまわりの者が「変だ」と思ったり、何かしらの症状・状態を引き起こすことに至るまで、さまざまです。

地上の者は“かげり”の心も抱きますが、ほとんどは、その気持ちを転換したり、解消したりしながら暮らしています。かげりを持ってしまっても、そこにとらわれず、気持ちを切り換えていくことができれば、かげりに憑依霊が引き寄せられてくることはありません。抱いたかげりが重なり、あるいは深くなり、自分自身がそれを解消できずにいるからこそ、同じ心を持つ霊とつながってしまうのです。
彼らのほとんどは悪意があって地上の者のところに来るわけではありません。(なかには、はっきりとした意志を持って、地上の者に影響を及ぼそうとする霊もいますが、その場合は、また別なのです。)彼らは地上時代特別な人間だったわけではないのです。今、地上に生きるあなた方同様、喜んだり、楽しんだり、泣いたりしながら暮らしていたのです。しかし、自分の気持ち、自分なりの思いをどうしても手放せないがために、喜びや真実に生きる本来の霊界に行くには至らないのです。
今のあなた方の暮らし方はいかがなものでしょうか。憑依霊や地縛霊の生きる幽界は、自分の感情にとらわれている世界です。本来の霊界とは愛情・思いやり・喜び・真実の世界です。そのいずれに近いところで暮らしているのかを思った時、今の地上の人々は、本来の霊界よりもむしろ幽界に近いところ、近い心で生きているとしか私ども(霊界の者)には思えません。時として、愛や真実にめざめ、優しさや思いやりを垣間見ることはあっても、幽界とのつながりの方が、残念ながら強いのです。
ということは、今のままのあなた方が地上を去って、本来の霊界へ戻れる、と断言できない、ということなのです。今の“自分なりの感情”のままの世界へ引き寄せられていく可能性が高いのです。それはとても不幸なことです。やがて、いつか気づく時があって、その世界から抜け出せる時が来るにしても、です。本来ならば、幽界とは存在しないはずの世界でした。あなた方が、人としての正しさや優しさに従って、人と喜びを共有し合って生きてさえいてくれたなら。あまりにも“自分”にとらわれ、“自分”ばかりを思った結果が、幽界を作り出してしまったのです。
あなた方の生きる地上界がこのままでいいはずがないのは誰もが思うことです。それは本来あるべき姿とは違う生き方を皆がしていることを知るからそう思うのです。あなた方が、“人”本来の生き方、あり方に立ち返り、自らを見つめ、生き直していくことは、あなた方の喜びとなるだけでなく、あなた方に近い幽界の者たちにも影響を及ぼしていくことにもなるのです。

憑依霊を恐れる前に、今の自分たち自身の生き方が、人として正しく、そして優しいのかどうか、を振り返らねばならないのです。あなた方の心のなかに幽界を形づくる要素がありはしまいかを見なければなりません。それをここに並べてみれば、何とおぞましい心の世界が展開されるか、分かるでしょうか。
人の不幸をひそかに喜ぶ心、幸せや喜びのなかにある人への妬み、苦しくて助けを求めている人への冷たい仕打ち、自分の気持ちひとつで相手への態度を変えること、裏切り、何かを得るための嘘、力を持つ者へのへつらい、おこぼれに預かろうとする卑(いや)しさ、ごまかし、欲張り、陰口、競争に勝つための手段、自分より弱い者への暴言・横暴、“優劣”を感じたうえで卑屈になること、“優劣”を感じたうえでそれを誇示し、さらに得ていこうとすること、持っているものを自分だけのものとし、人に与えまいとすること、思い通りに人を動かそうとすること、自分の感情次第で事実をも歪曲すること、過ちを認めず隠そうとすること、物欲、金銭欲、権勢欲、肉欲・・・・・。
面倒なことには関わらず、知らぬふりをしようとすること、人が見ていなければ構わない、と思うこと、“ちょっとした”いじわる、噂話、うまい話があればもうけようとする気持ち、・・・・・。
これらの気持ちは、「人と喜びを分かち合い、人の役に立つことを喜び、真実と愛情に基づいて生きる霊界」には存在しないものです。と同時に、幽界にはそれ以外のものも含めて全て揃っています。人と人との間で喜び合うことのできないもの、人の喜びにつながらないもの、自分なりのもの、自分のためだけのもの、それらは本来、地上で速やかに解消し、「喜び合えるもの」に変えるべきなのです。いいえ、それ以前に、そういうものを抱くことのないような心で生きるべきなのです。それが、見えない「心」を「形」にして(言葉や行動で表現して)生きる地上界の本当のあり方なのです。

憑依霊、地縛霊は、あなた方の心の内にあるさまざまなかげりの要素をひとつずつの世界として生きている者たちであり、あなた方の心の要素を強調して映し出していると言えます。彼らのことを知ることは、今、地上界で生きるあなた方の心の内の暗い淵をのぞくことでもあるのです。
しかし、それで終わらせることのないように。それを知るからこそ、その暗い淵に明るい光を注ぎ、清らかな水を流し込まねばならないのです。それはあなた方が、「人としての正しさと優しさとに従って生きる」と意志することであり、実際にそう行動していくことなのです。

補)「3.生と死、すなわち人生とは」「4.病と癒し」を参照してください。