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 いびき

まわりから迷惑がられ、自分でも止められない“ いびき”。
しかし、それにも“見えない原因”はあり、 解消できるものなのです。

起きている時、人は考え、思い、行動します。そのなかで、その時々の状況に応じて、発言や行動を抑制します。(その必要を感じた時に)。それは主に「理性」の働きによってなされます。
しかし、睡眠時には、その理性による抑制ははずれます。つまり“抑える”ことが極端に減少するということです。
そしてその抑えていることとは、「言うこと」「口にすること」にまつわっています。
声を大にして主張したいことがある、人に向かっていいたいことがある、思わずのみ込み、かみ殺した言葉がある、強い反感を感じるものがある、異議を唱えたい、諭さなくては、こうしてほしいと訴えたい、こうしたいとはっきりさせたい・・・等々。
現状では抑えざるを得ないこれらのことは、人によってまちまちです。正しさの主張から個人的な欲求に至るまで。そしてこれらのことは、理性では抑えられない、あるいは納得できないものばかりなのです。
“いびき”という“音”によって、心に生じている“おり”を減らすことはできても、抑えていたものそのものの“解消”には至らない。“疲れている時”や、“酒を飲んだ時”に、いびきがひどくなったり、普段かかない人でもかいたりするのは、疲れによって「抑えている苦しさが増幅」されたからであり、酒によって「抑える力が弱まった」からです。

このことから考えると、その解決法は簡単であるかのように思われます。しかし、抑えているものを全部そのまま吐き出してしまうのが全ての場合において良いことだとは言えません。“抑えていたこと”そのものが、その場にはふさわしくないという判断に基いたものであったり、人の気持ちを思いやったうえでのことだったりするからです。(もちろん、自分が傷つきたくないという気持ちがもとにあったり、言いにくい、という理由だったりもしますが。)
大事なのは、“抑えていたこと”の内容が、やはり、「言うべきこと」であるならば、勇気をもって口に出す、ということです。それが人として正しいと判断するのであれば、たとえ自分がいやな思いをしても、まわりと気持ちのところで多少かみ合わない時があったとしても、です。人としての正しさがそこにあれば、それは必ず、いつか分かってもらえるからです。それを口にすることは、自分の心に照らして何ら恥ずべきところはないはずです。
しかし、公平な目で見た時に、“抑えていること”が自分の一方的な気持ちである場合は、自分がそれを口にすることで生ずる不調和や傷つく人の心のことを思ってください。「言いたい」「言ってやりたい」と思っても、そうはしなかった、それでよかったのです。無駄に人を傷つけずにすんだのですから。
誰にでも言い分はあります。“抑えていること”が、自分の一方的な気持ちではなくとも、その時、相手のことを思いやり、あえてそれを抑えたという時、それがあなたにとっても「そうすることで良かった」と納得できていれば、“心のおり”を生じさせることはないでしょう。けれども、実際に肉体にそれがいびきとして表れているならば、改めてそこに目をやり、「言うべきこと」は伝えていくようにできれば、お互いにとって、嬉しい変化があるはずです。
また、“抑えているもの”が自分の欲求からのものであるならば、それを解消できるよう、そのことに「正直に」なる必要はあります。満たされる、満たされないは別にして、相手のあることならば、それを正直に伝えることから始めてください。ありのままの心を見せられた相手が、あなたの素直さ、正直さに応えてくれれば嬉しいことになります。しかし、そうでなかったとしても、まずは、自分の気持ち・欲求に正直になれたことそのものを喜んでください。そこから次の展開が必ずあるのです。
もしも、あなたの抑えている欲求が、公平な目で見て、一方的・ひとりよがりなものであるならば、それは、叶えられないことが当然なのだということを知ってください。何もかも思い通りになるとは限りません。喜びとは、満たされることとは、自分の思い通りにすることとは違うからです。

ペットとして飼われている動物に“いびき”がひどい場合は、その飼い主の心の状態を見てください。