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 人の成り立ち

皆さんは肉体を持ち、今そうして地上で生きています。肉体や精神、感覚は認識できても、自分の心と体、魂とがどのように構成されて「自分」になっているのかは“見ること”ができません。

図にあるように、物質の次元から順に、感情体、理性体、霊体、魂、類魂と並んでいますが、肉体に近いほど構成する粒子は粗くなっています。肉体以外の“からだ”を皆さんは「オーラ」とも呼びます。

各からだは、それぞれ独立・隔絶されているのではなく、エネルギー的に混じり合うところによって融合しています。これをダブル(複体)と言います。

肉体と感情体の重なるところは肉体のダブル、感情体と理性体の重なるところは感情のダブル、理性体と霊体の重なるところは理性のダブル、霊体と魂の重なるところは霊体のダブルです。

エネルギー的に混じり合う“ダブル”があるからこそ、魂が肉体に宿り、肉体を生かしめることができるのです。
肉体と魂とをつなぐ「魂の緒(シルバーコード)」はまた別のものです。

ここで言うエネルギーとは「意志」です。
皆さんは魂の意志に従って、魂の意志を地上で顕現するべく生きています。魂の意志を精神(理性と感情)・肉体に反映する仕組みがなければ、肉体は単なる物質としてしか機能しません。

魂の意志は類魂の意志を受けるもの、そして類魂から先には神の意志があります。
皆さんひとりひとりが等しく神性を頂いた神の子、というのは、「愛と摂理を顕現させる」という神の意志を受け、自らのなかにもその意志を抱いているからにほかなりません。

皆さんが「肉体」を見た時、さまざまな情報を得ますね。髪や肌の色、背の高さ、表情、仕草・・・。
同様に、それぞれのオーラにも情報が刻まれていますし、常に働いています。

「感情体」は皆さんのほとんどが感じるものです。見える人は少ないでしょうが、その人の雰囲気や気持ちが何となく“伝わってくる”と皆さんは言います。
これはその人の感情体の情報を受けているということです。同じ次元の“からだ”が共鳴したり反発したり、影響を及ぼし合うのです。
感情体のなかの、より肉体に近い層は「感覚」です。肌で感じる、と皆さんが認識している“からだ”です。
どちらも“自分として”が基準の“からだ”です。

「理性体」は、価値観や信念という“人間として”が基準の“からだ”です。
「霊体」は、魂の意志を反映させた“からだ”です。
今回の人生を生きるにあたって必要な情報が刻まれている“からだ”ですし、今回の人生での経験が刻まれる“からだ”です。

では、魂の意志が皆さんの言動にそのまま表現されているか、と言うと残念ながらなかなかそうはいきません。
その人の魂の傾向(顕現させていく愛の要素)が霊体に変換される時、学ぶべき課題が同時に投影されます。これはカルマと言われるものです。
霊体の情報が理性体に変換される時は、その人の価値観・考え方・判断基準として投影されますし、理性体から感情体へ変換されれば、その人なりの感じ方、思い方として表れます。さらに、肉体への変換が実際の言動・行為行動という表現です。
課題・カルマの投影によって、本来の魂の意志以外のもの(これをかげり、と言っておきます)が、皆さんの意識に入ることになるのです。
ですから、その影響は皆さんの精神・肉体・言動の全てに及びます。
しかし、カルマ・課題の影響を受けているとは言え、魂の意志(愛と摂理)によって皆さんは生きているのですから、皆さんの心に訴え、心を動かし、最も共鳴するものは、魂の本質である愛と摂理なのです。

カルマの解消に向けて自らの課題を越えていくのは、皆さんが自らの魂の意志を地上で表現していく過程で、どうしても通らねばならない関門です。
体からの情報が、精神や肉体に反映された結果として、病、悩み、不都合、トラブルといった不調和が生じます。それらは運悪くとか偶然に起こるものではありません。
皆さんは、不幸や試練、困難と受け取りますが、霊的法則から言えばそれは学びの機会・必然であり、不運や偶然ではありません。

しかし実際にそれらが身に起これば、人間の感情として、辛さ、苦しさ、悲しさを覚えずにはいられません。感情そのものを私たちは否定致しません。自分としての思いは思いとして抱いていいものですし、ないものにして処理すべきでもありません。
けれども忘れてならないのは、その状況で何を意志するか、どう意志するのか、です。ここに“出来事”の意味があるのです。
「人間のピンチは神のチャンス(好機)」と言うのはそういうことです。
魂の意志を理性体、感情体、肉体(言動)にまで反映させるチャンスだからです。かげりを払拭して魂の輝きが、肉体(言動)にまで投影されるのかどうかは、皆さんが何を意志するのかにかかっているのです。

皆さんは神の意志、自らの魂の意志を地上で実際の言動で表現するために生きています。
かつての人生でできなかったこと、失敗してしまったことも含めて、今回の人生ではやり遂げようと決めて生まれてきました。
もちろん失敗を成功に変えるだけが目的ではありません。
愛と摂理、言い換えれば「人としての優しさと正しさ」を各々の表現方法で形にしていくのです。それを個性と言い、働き、使命と呼びます。

そうやって皆さんが地上で人と共に生き、顕現した喜びや経験する幸せは、逆の変換をたどって、肉体(言動)から感情体・理性体・霊体・魂・類魂、そしてはるか先の神の御胸に還(かえ)っていくのです。
神の意志を地上で喜びという形で顕現し、そこで生ずる喜びはまた神のもとへと還っていく、その循環のなかで皆さんは生きているのです。
絶えることなく注がれている神、霊界からの愛のエネルギーによって皆さんは生かされています。生きる喜びと感謝が自らの魂を輝かせ、霊界へ、神へと届くのです。