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 カルマとは

今、地上に生きる皆さんは、初めての地上人生を生きているのではありません。今までに何度もの地上人生を経験しています。
それぞれに、“初めて”の地上人生はありました。
地上に生まれる前に、こう意志したのです。
「地上でこういう喜びを経験し、こういう愛情を実践しよう」と。守護霊とともに具体的なテーマを決め、それを地上で形にすべく生まれたのです。
初めての地上人生。霊界での学びを地上という次元で顕現する機会。
ほとんどの人はテーマを達成できませんでした。
なぜならば、「地上で共に生きる」のと「霊界で共に生きる」のには違いがあったからです。

霊界で学んでいる時は、同じ学びの程度と同じ心の傾向の者同士が集まって世界を作っています。類は友を呼ぶ、の言葉通り、共鳴し共感共有のなかで生きています。
しかし地上界では、学びの程度が違う者同士、心の傾向の違う者同士が共に生きていますから、霊界とは条件・状況が違います。
多様な次元、多様な傾向の心と心で、ひとつの世界に生きなければなりません。
当然、「違い」から生ずる不協和音があります。
皆さんが心を悩ませる「人間関係」です。

夫婦・親子・家族・友人知人・・・。これらの関係を結んだもともとの目的は、協力して何かを成し遂げるためでした。
霊界にいる時の約束で、「地上で共に○○をしよう」と決めたのです。
しかし実際地上に生まれてみれば、霊界にいた時のようにはいきません。さまざまな状況や複雑に絡み合う人間関係のなかで、決めたことを果たせぬまま人生を終えてしまいます。
霊界と違って、地上的時間は限られていますから、できるまで待ってもらえるというわけにはいきません。

霊界に戻れば何が不十分で何が間違いだったか、本当はどうすべきだったかを学び直します。これが負のカルマです。やり残したこと、間違い、すべきではなかったことであり、「本来なすべきこと」に反するものです。
しかし一方で、努力したことや、やり遂げたことは認めてもらえます。愛情を実践したことや経験を積んだことは正のカルマとなります。「本来なすべきこと」や「それ以上にできたこと」です。

魂の学びとは、完全を目指す進化向上の道です。
地上で作ってしまったカルマをそのままにして次へ進むことはできません。

二度目の人生は、白紙の状態で始まるのではありません。
前の人生で作ったカルマは初めから人生に組み込まれています。カルマの対象となる人物も特定されている場合、必ず関わり合う約束が霊界で交わされています。重いカルマほど密接な関係性のなかでしか解けません。何の関係もない者同士なら、解消するチャンスはめぐってこないからです。

負のカルマは負債を抱えているのと同じです。返済する必要があります。これを「埋め合わせ」「カルマの清算」と言います。
ある人を傷つけたカルマがあるなら、傷つくこと(傷つけられること)で埋め合わせる。同じ思い、同じ痛みを経験することで学ぶとも言えます。前の人生では分からぬがゆえに過ちを犯したのですから、学ぶことでもう同じ過ちは繰り返さないのです。
ただ、かつての人生で傷つけてしまったその人から同じ扱いを受ける、とは限りません。肝心なのは「同じ思いを」という点です。

対象となる人がいないカルマもあります。
自分自身の魂に照らして、「すべきでなかったことをした」場合、「すべきことをしなかった」場合です。
ある人は金銭を蓄えることに熱心すぎたことがカルマになり、今回の人生では人のために金銭を用立てることばかり続くなかで、埋め合わせをします。そのことで誰かが傷ついたり、誰かに迷惑をかけたわけではないというのに、それがカルマとなるのは、「その人の魂にそぐわない言動をしたから」なのです。

学びの程度も、生きる目的も違うのですから、ある人にとっては些細な取るに足らない落ち度が、別の人にとっては重大な至らなさになり得る。ですから、背負ったカルマの重さも内容も、人それぞれに違います。

しかも地上人生は一度きりではありませんから、初めのカルマを解消するはずがそうはいかず、カルマを重ねてしまったり、別のカルマを作ってしまったり、というなかで再生が繰り返されます。

幾度目かの人生で、それまでのカルマを清算し、やり残したことがないならば、よほどのことがない限り、もう地上への再生はありません。

このことから考えれば、今地上に生きる皆さんは、誰もがそれぞれにカルマを背負い、それを解消すべく生まれてきたのだと分かるでしょう。しかも、何度目かの人生なのですから、カルマそのものはひとつではなく、いくつものカルマが重なっていたり絡み合っていたりします。
霊界に戻るたびに、「今度はこれを解消しよう」と決めて生まれるにも拘わらず、過ちを繰り返してしまいました。

しかし、永遠に間違いが繰り返されるのではありません。たとえ失敗を重ねても、そのたびに皆さんは学んでいるのです。
乗り越え、解消するという「形」に至らなくとも、学びそのものは積み上げられています。それは、できなかった自分、同じことをしてしまった自分を“知って”いるからです。どんなカルマがあろうとも、いずれ必ず清算し、地上人生を卒業する時が来るのです。

カルマは「負」の負債だけを意味しません。
皆さんはたくさんの「正」のカルマも持ち合わせて生まれてきていますし、この人生においても積み上げています。善意・厚意・親切・正義・公平・素直・・・。あらゆる「優しさと正しさ」から発された言動は「正」のカルマを積み上げていると言えるのです。

地上を生きる目的は「課題の解消と貢献」の二側面で捉えることができますが、これは言い方を替えれば負のカルマを清算しつつ正のカルマを積むことでもあります。
マイナスを0にすることを、0をプラスにしていくことが一体となって同時進行されるのです。

皆さんひとりひとりが自分の「課題」と思えるところ(自らのかげり)を反転させてみるならば、それは「どういう貢献をするか」と捉えることができるのです。
例えば、人を裏切ったカルマゆえに人に裏切られるという痛みがあり、人を信頼するという課題を持つならば、人と信じ合う喜び(人を信じる、人から信じてもらえる自分になる)によって、信頼関係を作るという貢献ができる、というように。
これをテーマとする魂の持ち主は、もともとは、地上で「信頼」という喜びを顕現するのが魂の目的だったはずなのです。
初めの人生でつまずき、二度、三度とそれにまつわる過ちや不十分さを繰り返し、時には自らも傷つきながら地上で「信頼」に連なるいくつもの側面・要素を学んでいるのです。(約束・実行・嘘・真意・誤解・・・)
やがて、「信頼」の喜びを地上で経験すれば、この魂は霊界に学びの次元(場)を移し、同じテーマをさらに深く広く学んでいきます。

違うカルマを背負った皆さんが、共に生きているのは、補い合い、支え合うなかでカルマ解消の手助けを約束してきたからです。
対象となる者同士の約束のみならず、援助と協力も霊界での約束にほかなりません。
自分以外の人からの援助・協力によって力を借りられることを喜んでください。援助・協力してあげられることも喜んでください。

カルマの解消は、今の人生の奥に幾重にも人生が織り込まれている分、大変なことなのです。今の人生を生きながら、これまでの何度かの人生をも重ねてやり直しているのと同じだからです。
しかし皆さんは敢えてそれをするべく意志して生まれてきたのです。