スピリチュアルヒーリングの実際・1
ヒーリング、癒し、とは本来誰にでもできるのだという認識を持ってください。決して特別・特殊なものではありません。
ただ、エネルギーを作用させる程度は個々人によって違います。痛みを和らげる程度から病的状態の回復、傷の治癒、いわゆる難病の治癒・・・に至るまで。それはその人が「病を癒す」という役割を担って生きる場合に最も大きく発揮される力です。
しかしそれだけでなく、身近な人を大切にしたい、人の役に立ちたいという思いを持つならば、思いと役割に応じた力(エネルギー)は授けられます。
まずは皆さんが「誰でも霊力の通路になれるのだ。霊力とは人を思いやる気持ちなのだ」と認識することです。
さらに、「自分が治すのではなく、自分を通して癒しのエネルギーが注がれるのだ」と意識してください。
願うのはただひとつ。「その人の健やかさ」です。健やか、とは、魂・理性・感情・肉体(言動)の調和が計られている状態を言います。
あとは全てを委ねるのみです。
気負わず、力みを抜いて、その人の健やかさを願うのです。
痛みに苦しむ人を目の前にすると、皆さんはさまざまに反応します。
緊張。不安。困惑。同情。萎縮。気の毒で目を外す。
その反応は人の気持ちとして当然です。だからこそ「何とかしてあげたい」という思いが高まるとも言えます。ですが初めに抱いた心の反応にとらわれず、できるだけ早く気持ちを立て直してください。
気の毒に思い、いたわりの気持ちを向ける…というところだけに浸っていてはなりません。あなたが気持ちを同じ次元で共鳴させたままならば、「状態」を転換させるきっかけは作れぬままです。
大丈夫。任せて。今、楽にしてあげる。治そう。
どの思い方でも結構です。気持ちのチャンネルを「健やかさ」の方向へ切り替えてください。一段、気持ちのレベルを上げるのです。
あとは疑わず、心を静かに集中します。
「治って」という強い思いを向け続けるのもひとつの方法ですが、それは既に動機として十分にあるのですから、それよりも、霊界側から流れ込むエネルギーを多く摂り入れるために、自分の思い入れは一旦脇に置いてください。
そしてその人の健やかさを祈ります。
言葉は「治してください」でも「治りますように」でも「健やかに」でも、何でもよろしい。慣れないうちはいずれかの言葉を介して祈るのでいいのです。しかし、繰り返すうちに、言葉を介さなくても(何かの言葉を唱えなくても)その人の健やかさを願う心もちになれます。
病も傷も、心の不調もエネルギーの送り方の基本は同じです。
初めからうまくいくとは限りませんし、その人によって得意・不得意はあります。
うまくいかなかったからと言って「自分にはできない」と結論づけないこと。
あなたの身の周りに体の痛みのある人、病のなかにある人、心の不調を抱えている人がいるのなら、試みてください。何もその人に「今からヒーリングをしてあげる」などと言わなくてもいいのです。
たとえ対象となる人が知らなくても、エネルギーは作用します。
“自分が”治すのではないのですから、その人の知らないところからエネルギーを送っていいのです。
「ヒーリングを」と言ったことで皆さんが緊張し、力み、自分にとらわれてしまうよりも、ひそかにエネルギーを送るのでいいのです。
できないことや失敗を恐れる気持ち、期待を裏切りたくないという気持ちは誰にでもありますから、初めは“言わずに”の方が気を楽にしてできるでしょう。
その結果、その人に何らかの改善があったら素直に喜んでください。もちろんあなたがエネルギーを送ったから、とは限りません。他の要因が絶対ないとは言い切れません。この視点は大事です。
けれども、そこにあなたが関わったか否かは別にして、その人に健やかさがもたらされたのなら、「良かった」のですし、「嬉しい」はずです。あなたの願いは聞き届けられたのですから。
逆に何の変化も起きなかったとしても、それであきらめないことです。送ったエネルギーは決して無駄にはなりません。その人のオーラには届いています。形としてすぐに表れないだけです。
不調和の原因をエネルギー的な軽重(大小)で捉えるならば、健やかさに至るのに必要なエネルギーの軽重(大小)もそれに対応します。
そしてさらに、その人にとっての「健やかさ」が必ずしも「治癒」ではない場合もあります。
ヒーリングを施すにあたっては、「治ってほしい」「何とかしてあげたい」という思いが動機なのはもちろんですが、同時に、この点は受け入れ、理解しておかねばなりません。
それは対象となる人の「今回の人生のプラン」があるからであり、「貢献」や「役割」、「学び」の内容は予め定まっているからです。「治らないこと」を決めて生まれてきている人がいるのです。
しかしそれは人間の側が口にすべきもの、判断すべきものではありません。
「あの人はこれこれのカルマを解消するためにこの病気になり、治らないと決めてきたから他界し、それで埋め合わせをしたのだ」というのは、法則通りではあります。
あらゆる物事や出来事はカルマを含む人生のプランによって定められていることですが、それとは別に、皆さんは地上に生きる人間として、できることを精一杯していくところに、生きる意義があります。
ヒーリングを施す時、自らは通路(道具)として全てを委ね、結果も受け入れます。そうできるのは、生の意味、死の意味を知り、魂の永遠性を知るからこそです。
「地上的な死」が“失敗”や“無意味”や“敗北”ではないことを知るからこそです。
対象となる人に注がれたエネルギーが、地上的な治癒や喜びの形とならなかったとすれば、それは、霊界へ移行する時に、あるいは霊界へ戻ってから、「身に受けた愛念」としてその人が実感し、実体のある喜びとしてその人に役立ちます。
スピリチュアルヒーリングとは、霊界からの援助のもと、霊体以下の“からだ”を健やかな状態へと導き、魂の意識に共鳴させていく(添わせていく)ことを言います。
人間としての願いは「地上で元気に」ですし、この願いを手放してはなりません。執着とさえしなければ。
ヒーリングを施す側と受ける側の違いがあるとすれば、「全てを導きと計らいに委ねられる」というところでしょう。
受ける側の人は、場合によっては「死」の意味をすでに理解し、受け入れているかもしれません。関わるヒーラーからの話によって、新たに認識できたかもしれません。けれども「地上的な生を求め、治りたいと希うこと」は治癒を引き寄せる原動力です。
「地上で、愛する者たちとともに」という心と体の欲求は誰も否定できるものではありません。
ヒーリングを施す側は、この次元に十分同調したうえで(「治してあげたい」という動機)、しかし、それを越えた絶対的な安心と平安の次元(霊界からの導き、エネルギーと認識する)に共鳴しなければなりません。
対象者と霊界をつなぐ通路にならなければ、霊界からのエネルギーを対象者に注げないからです。つまり、ふたつの次元への共鳴が必要ということです。
対象者の「健やかさの希求」への共鳴、霊界側の「導きと計らい」への絶対的信頼・確信。それぞれがヒーラーと対象者、ヒーラーと霊界との接点になるものです。
ふたつの接点を持つことが、「通路」になるということなのです。