死んだらどうなるのか
目的を持って地上に生まれた皆さんでも、必ず死を迎えます。「死」も「生」と同じように予め決めてくるのです。どのような時期にどのような状況で死を迎えるのかは設定済みです。
「死」とは魂が肉体から離れることを言います。
別の言い方をするならば、(皆さんの)生きる次元が地上から霊界に変わることです。その時に、物質次元の肉体は、地上(物質次元)に脱ぎ去り、霊界へ移行するなかで霊体(魂の体)が残ります。肉体の上の次元のオーラ(感情や理性、つまり心)は消えてなくなるのではなく、霊体の色どりとして共鳴・調和していきます。地上的な感情や理性は学びとして霊体に残る(刻まれる)のです。感情と理性は霊体に融け込むのです。
こうした経過は次で詳しく伝えますが、先に、その流れに乗れなかった場合について伝えましょう。皆さんの言う「成仏できない状態」です。
本来戻るべき霊界に行けない霊が行く先は幽界・暗黒界という世界です。薄暗く重苦しい、沈んだ世界です。誰も自分からそこへ行こうなどとは思いません。それなのに、なぜ暗い世界へ行ってしまうのでしょう。
死とは、心(感情や理性)のオーラが魂(霊体)に融合すること、と伝えました。その前提として、心と魂の共鳴があります。そこでは、心に深いかげりやとらわれがあれば、魂との共鳴は難しくなります。魂に融け入ることができません。地上時代に経験した喜びや幸せ、感謝といった輝きは魂に溶け込むのに、そうでないかげりは浮き上がっていきます。その人全体を見た時、残ってしまうかげりの方が多ければ、次の次元(喜びのみの世界)へは移行できません。たとえかげりを残しながらでも、魂への共鳴が強ければ次の段階へ進めます。
地上に生きていた時に、執着やとらわれが強ければかげりの状態でとどまってしまうのです。
肉体という最も重たいものを脱ぎ、次いで心が軽くなっていく。軽くなるほどに上に上がっていく。そうイメージしてください。重たい“かげりの心”を抱えたままでは、なかなか上がっていけません。その人なりの重さでとどまる、そこが「幽界」なのです。
どこかに幽界・暗黒界という場所があるわけではないのです。その人の抱くかげりで世界ができるのです。皆さんが何かを思い描いている時、そこにひとつの世界ができますね。それと同じです。自分のかげりが作り出した世界が幽界です。すでに同じようなかげりの世界は無数にありますから、同じものどうしが一緒になり、ひとつの世界ができます。
悲しみ、寂しさ、妬み、肉欲、金銭欲、高慢、攻撃、恨み、自責・・・。地上の人間が抱く全てのかげりに対応する世界がそこにはあります。
かげりの心のみで生きる世界ですから、愛情に根ざした心はありません。だから暗く、重苦しいのです。
本来戻るはずの霊界は、地上と比べてより細やかな次元の世界です。しかし幽界の次元は、地上よりやや粗い次元の世界です。そして、今地上に生きる皆さんは、喜びだけ心で生きることはできていません。絶えず何かしらのかげりが心に生じます。
幽界の霊も、地上の人間も「心」で生きているのは同じ。地上の人間が抱くかげりと幽界のかげりは同じものです。同じかげりがつながれば、その世界(幽界)の影響を受けます。
今の地上界にある喜び以外の“かげり”。愛情とは対極の要素です。
不正、偽り、ごまかし、偏見、差別、独占、支配、抑圧、暴力、不公平・・・。
社会にたくさんのかげりがあるのと同様に、人間の心にも多くのかげりの種はあります。
皆さんが愛や喜びとは違う気持ちを抱いた時、オーラに表れるかげりは、幽界やその住人とつながるのです。その時、「憑依」という現象が起こります。同じかげりを持つ霊を引き寄せてしまうのです。
霊がその人を選んで取り憑くのではありません。かげりを抱いた人が引き寄せるのです。
特定の誰かを恨んだり憎んだりして、その人に影響を与える、ということはごくごくわずかです。
引き寄せてしまった霊が、ご先祖様だとか知り合いだとかではなく、「同じかげりの共鳴」が理由です。
「憑依」そのものは決して特別なことではありません。皆さんにも起こります。しかし、大抵の場合は、抱いたかげりの気持ちを切り替えて、納得したり、解消したり、思い直したりするなかで、憑依霊は離れます。その人が引き寄せていたかげりがなくなったのですから当然です。さまざまな心の動きのなかで、影響を受けたり外れたり、を繰り返しているのです。
けれども、憑依と同時に、抱いたかげりを解消できず、持ち続けていると、憑依霊とのつながりが強くなり、もともとのかげりが増幅されていきます。思いにとらわれた状態です。こうなってしまうと気持ちの切り替えは難しくなりますし、このままではいけないと思っても、抜け出せなくなります。憑依霊の性格・癖・好み・地上時代の肉体の状況・病気などがその人に表れるようにもなります。
このように、憑依の影響によって、心・肉体・言動に不調和状態が表れることを「霊障」と言います。
霊障を癒していく方法、憑依を外す方法については別の項で伝えましょう。
ひとつ、付け加えておかねばなりません。
それは「自殺」によって他界する場合、本来の霊界に戻ることはできない、ということです。
生命は神から分け与えられたものです。“自分”であっても“自分のもの”ではありません。自らの手で地上的生命を絶つことは大きな過ちです。してはならないことです。人が人の生命を奪ってはならないのと同じです。
ですから、「自殺」によって幽界にとどまるのは、その意味で“埋め合わせ”なのです。苦しく辛い思いのなかで一定期間とどまるのは、“自分のした過ちを自分で償っているのであり、魂にとって必要なことです。
(自殺者と)その家族にとっては辛い話でしょう。しかしだからと言って、その状態にいつまでもとどまりはしません。必ず救われます。
この点についても憑依を外す方法を伝える際に詳しく述べます。