霊界通信 「霊的法則の基本」悠々塾ホームへ

 霊能者の存在意義

誰でも「霊力の通路」になることはできます。
霊力とは人を思いやる心、愛情にほかならないからです。
しかしそれとは別に、霊的な感応の幅が広い(次元が高い、精度が高い)場合、その人には「霊能力が備わっている」と言います。

備わった霊能力を人の喜びのために役立てるのが本来の霊能者です。
どんな能力であれ、授かっているもの、培ったものは自分のために使うのではなく、人に喜びをもたらすためのものです。
霊能力は、霊界の力の顕現にほかなりませんから、霊能者本人の持っている「力」ではないのです。

一口に霊能者と言っても、担う役割によって“役立ち方”はさまざまです。
病気治療、他界した人との交信、憑依の解消、霊的現象を鎮める、霊界との通信、悩みの解決・・・。

スピリチュアリズムの勃興期には、いわゆる物質(物理)霊媒の活躍によって霊的世界や霊的能力の存在を実証する必要がありました。
霊界通信や他界した人との交信(交霊会)によっても「死後の生」の認知度が高まりました。
病気治療は、“まじない”や“暗示”ではなく、霊界からの援助によってなされ、それは医学的常識を越えるものであると証明されました。

このように霊能者・霊媒の存在があってこそ、地上の人々の意識のなかに「霊的世界」を実在のものとして定着させることができます。
霊界からの導きも援助も、地上の人々に注がれ続けているのですが、地上の人々の意識の次元との間に隔たりがあって接点を持ちにくいのです。霊媒は霊界と地上界、両方に接点を持つ通路です。通路になりきることによって、尽きることなく霊力は地上に流れ込みます。
霊的世界も霊力も無限のものです。
真理も法則もこれが全て、という上限はありません。

たとえ霊能者と言えども全てを知ることはできません。通路として、「与えられる情報」「与えられるエネルギー」を地上にもたらすのみです。
自分の働きや能力、伝えるものがどれほどのものか、など人間には窺い知ることはできません。

霊能者・霊媒は霊界との接点を持ちますが、同時に地上に生きる生身の人間です。だからこそ霊界の道具として地上で働けるのですが、弱点もあります。
地上に生きる以上、人間としての感情を手放すことはできない、自分としての気持ちに影響される可能性をゼロにはできないのです。
今地上に生きる皆さん全てが各々カルマや課題を持っています。それは霊能者・霊媒も同じです。彼らもまた、不十分さを持った人間のひとりです。
つまり、自分としての気持ちゆえに心をかげらせ、そのかげりが増幅していく可能性を持つということです。

霊能者・霊媒としての働きの真価は「道具に徹する」ことです。働きにおいては“自分としての意識・感情”を最小限にすることの連続です。提供し続けるのが役割です。
それを喜びとしてこそ、良き道具なのです。
しかしながら、人間としての地上的な感情が顔をのぞかせた時、その歯止めがきかなくなれば、たちまち接点には“ずれ”が生じます。
金銭欲・名誉欲・賞賛・評価・優越感・自己顕示・慢心・自己保身・競争心・・・。
霊能力を有し、それによって得られる喜びが「人の喜びを自らの喜びとする」ところから、「自分のために喜びを集める」「自分のことを喜び」「霊能力のある自分を喜ぶ」に変わっていくならば、その時点で本来の霊界との接点は断たれます。すでに幽界とつながっています。

本来の霊界から地上界に向けて注がれる霊力は「ひとりでも多くの人々に喜びをもたらすため」という目的に基くものです。その目的に共鳴する通路であることが霊能者・霊媒の存在意義です。

しかし、自分が喜ぶために霊能力を使うというのは、「自分さえ良ければ」という幽界に共鳴し、その通路となり幽界的エネルギーを地上に増幅させる過ちを重ねてしまっていることです。
地上界にあるかげり(つまり、幽界的要素)を一掃するために、霊界からの働きかけが強められ、それが理念として形をなしたものがスピリチュアリズムです。
霊能者・霊媒はその普及と理念の実現のために働くのです。そのために霊的能力を授かっているのです。

初めは真摯に、働きに対して誠実に臨んでいた者であっても、人間としての感情のかげりが生じれば、霊能者としての存在意義すら揺るがしかねないところまで変節してしまう。
その可能性があることを皆さんの認識に入れておいてください。
前項で伝えた基準と、「人として正しく優しいか」の視点で霊能者・霊媒を見、検証していくことを重ねて勧めます。
本来の通路・道具として働く霊能者・霊媒ばかりがいたのなら、すでにこの地上界は大きく変化を遂げていたでしょう。

しかしながら、地上の人々が求めてきたものは「まず、自分が幸せに」「自分が先にうまくいくように」という“自分の”喜び・幸せでした。多くの人々の欲求・要求が現世利益に偏っていたのです。
霊界から注がれる「ひとりでも多くの人々を幸せに」「人も自分も幸せに」というエネルギーには共鳴できないものです。
いわゆる“悪徳霊能者”、“悪質霊能者”がはびこるのは、求められているのが「幽界的な喜び」だからです。そして幽界的欲求や要求を追い求める歴史が今まで続いてきているからです。
言ってみれば、地上の人々の欲求・要求と、それに感応・共鳴している次元(幽界)との通路として霊能者・霊媒を求めているのです。
さらに、霊的現象、霊的世界を面白がり、あるいは恐がり、興味半分・興味本位で関わる人が多いのも原因のひとつです。
先に伝えたように、スピリチュアリズム初期においてはそれも必要なことでした。しかしその段階を過ぎ、証明や検証の段階を経て、霊的世界の実在が人々の意識に浸透する、というのが霊界の意図したところでした。
けれども、スピリチュアリズム本来の目的は未だ達成されず、人々の意識と言動の変化に結びついてはいません。

皆さんが霊的世界に興味・関心を持つのは霊界側にとって非常に喜ばしいことです。それが入口となって、霊的法則を知り、皆さんの物の考え方、価値観の変化につながっていくのだとすれば。
霊的世界の存在を地上の人々に知らしめることの目的が、「地上の人々の生き方を変えるため」なのですから。
霊界側にとって、皆さんが霊的世界に気持ちを惹かれることは霊力の通路が増えることを意味するからです。
しかしながら、興味の域にとどまったり、「自分だけが幸せに」「自分だけがうまくいくように」という動機で霊的法則を捉え、使っていこうとするのなら、霊界側の意図に反する幽界の霊力の通路ができてしまいます。
皆さんにそのつもりがなくても、です。

明らかに「人として正しく優しく」とは思えないような内容を語る霊能者・霊媒ですら、地上の人々の欲求・要求のエネルギーに支持された形で、幽界との通路を保ち続けています。
ですから、一見「なるほど」と思わせるような巧みな言葉で語られれば、「それでいいのだ」「そうしよう」と受け入れてしまう可能性があります。
「この人が言うことだから間違いない」という判断基準で見てはいけません。同様に「今まで言っていることに間違いはなかったから、大丈夫」というものでもありません。
これは全ての霊能者・霊媒に当てはまるものです。
本人すら気づかぬまま、接点がずれ、つながりどころが変わっている可能性もあるのですし、初めから本来の霊界ではなく低級霊の影響下にあって本人が全く気づかずにいる場合もあるのですから。
ただ、そういった霊能者・霊媒であれ、霊的世界の存在を示していることそのものに変わりはなく、その点においてのみ意味が見出せます。

地上の人々が見極める目を以って見ることができるようになれば、自ずと彼らは“求められる存在”ではなくなります。
ひとりでも多くの皆さんが、霊的法則の基本を知っていくならば、法則にそぐわないことを平気で言い、「自分優先」の幽界につながる霊能者・霊媒を相手にすることもなくなるでしょう。
そのためにも霊的世界を知り、そこに喜びや救い、希望を見出した皆さんは「原理原則」や「基本」をしっかりと知り、そして広げていく手助けをして頂きたいのです。