質問編・3
Q)人には言えませんが、自分の心のなかには、人の失敗を密かに喜んだり、されたことをいつまでも恨みがましく思い続けたり、という暗くてどろどろしたものがあります。こんな自分の心をどうしたらいいのでしょう。
A)全ての人の心には、「神性」が宿っているとお伝えしました。神の心に通じる、美しく輝く心です。何があっても汚れることのないものです。
しかしそれとは別の心――あなたが言う、暗くてどろどろとしたもの――もあるのです。あなただけではなく、ほとんど全ての人間が持っている心と言ってよいでしょう。
神の心・愛を具体化していくと、その要素が限りなく挙げられましたね。(たとえば、正義、公平、尊重、受容、誠実、親切…)。
その逆のものが全てあると思ってよいのです。(横暴、暴力、不公平、抑圧、排除、嘘、意地悪…)。
本来の霊界は、喜びや愛のみの世界です。そこに生きる霊たちは、当然その次元に共鳴する心で生きています。
地上界は、喜びや愛だけの世界ではありません。喜びや愛とは逆のものが混在しています。そこに生きる皆さんは、やはりその次元に共鳴する心で生きています。
霊的にみれば、生きる境涯(次元)に見合った心を持っている、ということにすぎません。しかしそれは、光と闇の心、両方を抱えたままでいいのだ、という意味ではありません。
地上界は“いずれ”霊界の写し世になります。
地上界から闇やかげりが消え去り、本来の霊界同様、喜びや愛に満ちた世界に変わっていきます。
それは、地上に生きる皆さんの心から闇やかげりが払拭されることを意味します。(これが「地上界の浄化」です)
「喜び」には大きく三通りの方向性があります。
・何もないところに「喜び」を創り出す「創造」
・すでにある「喜び」をさらにふくらませる「発展」
・「喜び」以外のものを「喜び」にしていく「転換」
あなたが抱える“心の闇”は「転換」の喜びにつながっていくのです。
しかしそのためには、自分のなかにある“闇やかげり”をあってはならないものだからと否定したり、恥ずべきものだからと目を背けたりしないでください。
「あるもの」として、「あるはずのもの」として捉えてください。
地上という次元に生きる皆さんが抱くことになっていた、生まれる前からそう決めてきたもの、と思っていいのです。今あなたの心にある闇は、あなたの魂が意志して作り出したものです。やがてそれを「喜びや愛」に転換させる、と決めたのです。
もちろん、越えていくには意志の力を高めねばならず、努力と勇気も要るでしょう。でも、それこそが「転換」のエネルギーを生むのです。
あなたが抱く闇の心を「こんな自分の心」と思ってしまうのは、光や輝きの心を知っているからですね。光や輝きからかけ離れた心を不十分だ、嫌だ、汚いと思うからです。
しかしそれでもあなたはここで生きています。光と闇の混在した心であろうと、存在を許されて生きているのです。しかも愛され、慈しまれているのです。
自分の心の奥底に、暗く澱んだものがあることを知っていること。それが一歩目です。
知っていて、「あるのだ」と認めること。それが二歩目。
「変えたい」「何とかしたい」と思えたら三歩目に進んでいます。ここでないものにしてしまうと、歩みが止まるのです。
四歩目からは、「見続ける」のです。自分が変えたいと思う闇から目をそらすことなく、見るのです。
自分がどういう心を動かしているのか。
自分がどんなに嫌な、邪な心を抱いているのか。
変えたいと思う闇の心を正面から見続ける、というのはその先にある「なりたい光の心」を求めるということなのです。
ふたつは対であり裏表です。
だから目をそらしてはならないのです。目をそらせば、いつまでたっても「転換」などできません。
あなたは三歩目を踏み出しているのですから、勇気をもって次へ進みましょう。