霊能者を見極める
巷には実にたくさんの自称霊能者がいます。「霊能者」とは言わないまでも「自分には霊感がある」と言う人もたくさんいます。
“普通の人”には分からないことが分かる。それは確かに不思議であり、驚くことなのでしょうが、これまでお伝えしてきたものを読んで頂くなら、仕組みがあり、法則が作用しているだけのことなのだとお分かり頂けるでしょう。
在るものが見えたり聞こえたり分かったりする、というのは言ってしまえば当たり前のことなのですから。
「霊能」は特殊なものですが、特別なものとして見てしまうと、そこには大きな落とし穴ができてしまいます。
皆さんが考えても分からず、また、どうしていいのか答えを見出せない時に、いわゆる「霊能者」の手助けを受けるのを、私どもは否定致しません。
しかし、どんな霊能者に手助けを求めるのかには、基準を持つ必要があります。
1.多額の金銭は不要
・霊能力とは授かった力です。人によっては修業や訓練によってその力を開花させたかもしれません。
しかし、授かった力を使って人の役に立つ場合、多額の金銭は不要です。
霊能者と言えども身を養い、地上的な生活をしていかなくてはなりませんから、金銭そのものは必要です。
料金の上限、という具体的な金額に対する感じ方(高い、安い)は個々人によって違うでしょうが、一般的に見て、誰もが「高い」と思うような金額を要する場合は、やめるのが賢明です。
・本来の霊界へ戻れず、地上近くをさまよっている霊を送る、あるいは憑依している霊をはずして送る、という時に、金銭が要るはずがないのです。
霊が要求するはずもありません。
霊を送り届けるエネルギーは、愛念以外にないのですし、愛とは無限に湧いてくるものですから、元手も費用もかかりません。それを金銭に換算できるわけがないのです。
・また、ヒーリングを施すにあたっても、治療家や霊能者は通路としての役割を担うにすぎません。エネルギーの使い方によっては、ヒーラー自身のエネルギーを注ぐ場合もありますが、だからと言って、一定の休息で十分回復できるものです。
2.恐怖心を煽る、不安がらせるだけでは何の役にも立ちません。
・他界した人に関する情報を受ける時は、まず鵜呑みにしないことをしっかり頭に入れておいてください。
「このような苦しい状態にいますよ」と言われたら、必ず「それはなぜなのか」を問わなくてはなりません。何の理由もなくそうなるわけがないのですから。何らかの心のかげりについて納得のいく説明がないのなら、その情報を信じる必要は全くありません。説明を求められて怒り出すなど論外です。
これは、本来の霊界に戻れず、幽界にとどまる原理を知っているならば、説明できるものですし、その人に関して正しい情報ならば、生前のどういうかげりがあったのかまで、霊能者には分かるはずです。
・また、いわゆる成仏できていて、本来の霊界に戻った人は、地上的な性格や傾向の名残りはあっても、地上時代と全く同じ「人格」のまま、というのは法則にかなっていません。
本来の霊界に戻ったならば、地上的な感情を一定以上卒業しているだけでなく、「分かったうえで」皆さんを見ているのですから、「あなたを見て嘆き悲しんでいる」とか「激怒している」という話にはならないのです。
もしも、「心配している」としても、必ず「こうであってほしい、こうなっていくように」という願いや祈りとセットになった思いが伝えられなければ、その人は本来の霊界の住人であるとは言えません。
・さらに、「こういう霊が憑いています」という情報を伝えられたら、やはり「どうして憑依したのか」を問い返してください。
憑依の原理はとても簡単です。かげりの共鳴という基本的なものです。そして、そこでは先祖だからとか知り合いだから、という理由ではなく、かげりの心と心のつながりが原因です。
・憑依も、成仏できずにいる霊も、「どういうエネルギーを必要としているか」という答えが必ずあります。それが不足しているから満たされぬまま本来の霊界に戻れずにいるのです。
それを補うために言葉を向け、エネルギーを注ぐのが霊能者の言う“浄霊”です。
・実際に悲惨な状態のなかで苦しんでいる霊はいます。
その情報を伝えるのであれば、どうすればその霊が救われるのか、そして、地上にいる者はどういう心を向けてあげればいいのか、という解決法なしに口にすべきではありません。事細かに内容を知らされることで、地上の者が心を乱し、心を痛めるのだとすれば、むしろ「知らない方が良かった」のです。「まだ成仏できていない」という事実だけで十分だったということです。大事なのは、本来の霊界に戻ってもらうことであり、平安な心の状態を取り戻すことであり、地上の者が安心できることです。
3.当てものに感嘆して本質を見失わないように。
・残念なことに霊能者のなかには低級霊とつながっている者が多いのです。
特別な自分を求めたり、霊能そのものを欲しがったり、という場合、低級霊の憑依を受けます。
コンプレックスが根底にあると、評価・賞賛・自己満足・優位性というかげりを持つ霊とつながりやすいのです。
たとえ低級霊であっても、「霊」であることに変わりはありませんから、地上的な情報(具体的な出来事や様子・状況・事情など)や他界した人に関する一定の情報は分かります。
そこで「こうですね」と当てられて、それだけで「この人は当たる」と思ってしまうのは危険です。
皆さんが、その霊能者に手助けを求めたのは、何かを当ててもらうためではありません。
迷いや悩みに対し、具体的な解消策や指針、ヒントが欲しくて訪れているのです。何のために、何を求めているのかを忘れてしまっては元も子もありません。
いかなる場合も、納得のいく説明をしてもらえるかどうか、何を根拠にしているのか、という視点を持ってください。
霊能者は完璧な答えを出す道具ではありません。全てを見通し、全てが分かる者など、(原理的に)いるわけがないのです。それは治療家でも同じです。
霊能者がもたらすものは、あくまでも情報のひとつ、という目を持ち続けた上で、最終的には皆さん自身が判断していくのです。
・補足
「自分は霊感が強い」ということの意味をよく分かってください。
どこどこに行くと霊の存在を感じる、何かを感じて嫌な気分になる・具合が悪くなる、恐ろしいものや霊が見える、等々。
これはいずれも幽界に共鳴していることを示すものです。感覚的に敏感、という言い方もできますが、敏感だとするなら、なぜ喜びや希望や健やかさをもたらす方につながらないのでしょう。
幽界に共鳴しやすい、というのはその人に幽界的要素が強くある、ということです。「憑依霊や地縛霊、嫌な気分や恐ろしいものと共鳴する心が強いです」と言っているのと同じことです。そこに問題がある、と気づいてください。
もちろん誰の心にも、かげりはありますし、その人を「悪い人」であるかのように否定しているのではありません。
ただ、ことさらに「自分は霊感が強い」と特別視すべきではない、ということです。
もし、霊的に敏感なのだとすれば、その感覚を喜びの方向に役立てていけるように変えるべきです。
霊が見える、訴えが分かるというなら、その霊を本来の霊界に送るべくひたすら祈ってください。
けれども、役立てることなしに「霊感が強い」と言うだけならば、それは実は恥ずかしいことなのだという認識を持つべきです。
幽界との通路になってしまう、ということなのです。
ですが、未浄化霊との感応が強く、自分の心身の不調にまで影響が及ぶのであれば、霊的治療と、影響を受けなくなっていくための学びが必要です。
そこでは、役割を担っている場合と、心の傷が深いために自ら引き寄せてしまう場合とがあるからです。
悪質な霊能者、とまではいかなくても、「何かを感じる自分」「何かが分かる自分」に、ある種の優位性を感じ、人とは違う自分を見てしまうと、この項で伝えたような“霊能者”と同様に、低級霊につながり、大きく影響を受け、まるで霊能者であるかのように思い込んでしまう危険性があります。
そうなった場合、その人と低級霊の共鳴を外すのは非常に困難です。
本来、霊界と地上をつなぐ通路として使われるはずの霊能力は、喜びをもたらすために与えられるのです。
それが全く逆のものになってしまい、幽界とつながり、自分を傷つけ人に迷惑を及ぼしかねない。そうであってはならないのです。
多くの人が霊的法則の基本を知ることで、霊的なものを見る確かな目を持ったならば、霊能者にだまされたり、ひどい目に遭わされるということはなくなるでしょう。
そして同時に、法則にそぐわないことを平気で口にしてしまう、つまり低級霊の影響下にある霊能者はその数を減らしていくでしょう。