本来の霊界とは
<死んだらどうなるのか>では、主に本来の霊界へ戻れず、心のかげりから抜け出せずに幽界へとどまってしまう仕組みを伝えました。
ここでは地上を離れた魂がどのようにして霊界へ戻り、何をするのかを伝えます。ほとんどの人は、多少の違いはあっても次のようにして霊界へ帰ってゆきます。
肉体を脱いだあと、感情や理性(のオーラ)は魂(霊体)に融合します。その瞬間、人は今まで味わったことのない安らぎ・温かさ・まぶしさに包まれます。どう感じるかはその人の感性の違いによります。
傷つくことの多かった人、苦労の絶えなかった人などは心を休め傷や疲れを癒す期間に入ります。休息や休眠の状態です。癒されたなら、目覚めの時を迎え、次の段階へ進みます。「理解と納得」の段階です。
やりたかったことが残っている人、満たされなさが残っていた人は、思う存分満喫する期間があります。地上と違って、「思いが実体化する」のが霊界ですから、心ゆくまで好きなようにできるのです。先に他界したペットとの再会はこの段階でかないます。
地上の人間が、「天国は何でもできるところ」と思ってしまったのは、この段階を垣間見たからです。この段階で満たされた人も「理解と納得」に進みます。
休息・休眠や思いをかなえる段階を経ずに「理解と納得」に進む人ももちろんいます。
地上人生で愛情を交わし合う喜びに生きた人、感謝の心で生きた人、奉仕や貢献の喜びに生きた人…がそうです。人生全般でそうできたのではなく、“結果として”自らの人生を喜び多きものと思えた人であり、「生きてきてよかった」と思えた人です。
「理解と納得」はひとりではできません。
この段階に進むと、気づいた時に何人もの霊に取り巻かれていることに驚きます。皆、すでに他界した親(ちか)しい人たちです。身内ばかりでなく、地上で心を通わせた人たちです。皆が自分に向けて愛念を惜しみなく放射してくれているのを感じます。再会の喜び、というよりも愛されていることへの喜びに心が震えます。そして、彼らとは別の存在が自分の方へ何かを語りかけていることに気づきます。しかしその存在を見ることはできません。守護霊との対面です。霊界に戻ったばかりの段階の霊と、守護霊の次元とはあまりに違いがありすぎて、見ることができないのです。しかし、自分へ向けて語りかける言葉には覚えがあり、安心して全てを委ねることができます。
守護霊をどう捉えるかも、その霊の感性によります。大きい、眩しい、高い、細やか、温かい・・・。いずれにしても、ここで「地上に生まれる前の導き」につながります。課題の提示、目的の設定、選択と決意。それらを思い出します。
そこから、今回の人生全てについて知らされます。守護霊から送られてくる想念を受け取ります。一度に全て、というよりも、さまざまな角度から語られます。それを受けて“分かっていく”のです。
例えば、「あなたが愛情を顕現できたところ」として語られるうちに、自分が今回学べたこと、達成できたこと、成長できたことを喜べ、そうできたことに感謝できます。「あなたが気づいてあげられなかった気持ち」として語られるなら、生まれてから死ぬまでの間に関わった人たち全ての“気持ち”が分かっていきます。その人たちの動機や本心を知ると同時に、自分の不十分さ、至らなさとして反省も謝罪も、悔いも抱きます。
そうして、今回の自分の人生全てを知り、納得するのです。
このようにして伝えると、皆さんはきっと「大変な時間を要する」と思うでしょう。しかし、そうではありません。霊界には“時間”がないからです。あるのは“状態の変化”のみです。例えば、何かを知ることで、知らなかった状態から分かった状態へと変化するのですし、気づかなかった状態から気づいて詫びたり感謝したりという状態への変化もあります。それを進歩、進化、向上と言います。
あるいは幽界にとどまっている霊がそこを抜け出すのも大きな変化です。とどまっている期間が、地上的に何十年であったとしてもその霊にとっては「同じ状態のなかにいる」としか認識できません。
ですから、「人生の全てについて知り、納得する期間」という伝え方であれ、「一瞬にして人生の全てを知らされる(見せられる)」という言い方であれ、同じことになります。
その間中、まわりを取り巻く霊たちは、新たな仲間の変化を喜びながら見守り、エネルギー的援助を続けます。自分たちもそんなふうにして今回の人生を受け入れていった過程があったのですから。その人がやがて包まれる喜びをすでに知っているのです。
そのあと、地上人生における不十分さを踏まえたうえで、次に何を学んでいくのかが示されます。もう、何の迷いもなく、新たな学びが始まります。
学び、と言ってもその霊によって内容はまちまちです。
地上に生きる人たちの援助をするグループは無数にあります。職業、というだけでなく、心の状態や傾向に添って手助けしていくのです。もちろん地上の人、全てに守護霊・指導霊がついていますから、あくまでも手助けです。けれども担う働きは、その霊の特徴的なエネルギー傾向とマッチしたものですから、力強い“助っ人”です。
例えば、今、命を絶とうとしている人に対して、守護霊も指導霊も思いとどまるよう愛念を送ります。それでも、そこまで心を重く暗くしている人には届ききれません。そこで、「思いとどまるよう働きかけるグループ」の霊たちが愛念を送るのです。
働きに参画して間もない霊は先輩霊の働きぶりを見ながら学び、訓練していきます。
地上人生で、才能に恵まれていたり、技術を習得した霊は、今、地上で同じ仕事や役割を果たそうとしている人の手助けをしていくこともあります。
また、知識欲旺盛な霊ならば、霊界の仕組みや地上の仕組み、地上では解けなかった謎や疑問を学んでいく方向へ進みます。
ひとりひとりの魂の目的が違い、傾向が違いますから、これから進んでいく学びの内容はさまざまです。
「霊界」とひと口に言っても、平面的な同次元で皆が一緒に暮らしているのではありません。
休眠休息、満足、理解と納得にも段階がありましたが、学びの段階も次元の違いがあります。次元の違いを階層、境涯などと言います。
「理解と納得」のあとに進むところはそれぞれ違いますが、それは、その魂が(地上に生まれる前)すでにどの境涯にまで学びを進めていたかによっても違うのです。元々生きていた境涯に戻っていくのです。つまり、「理解と納得」のあとで向かうところは、その霊がもともと生きていた次元、という縦軸と、特にどういうエネルギー傾向が強いかという横軸によって定まる、ということです。
本来の霊界は「学びの程度」「進化の度合い」の違う次元が層をなしていて、次元の低い側からは高い境涯のことは分かりません。
理解できるのは自らの生きている次元と、それよりも下位の次元のことです。
けれどもさらに学びが進み、次元の隔たりが大きくなってしまうと、波長を合わせにくくなるために下位層との共鳴は難しくなります。
地上の人間は、本来の霊界に満ちる喜びの一端を知っています。同時に、自らの心にもかげりを持ちますから、幽界や暗黒界のかげりも分かります。
さて、皆さんの親(ちか)しい人が他界し、皆さんに向かってメッセージを伝えるとします。
彼らは皆さんの知っている“その人”とはもう同じではありません。経験や情報の共有はもちろんできます。しかし、彼らが本来の霊界の住人となっているのであれば、地上的な感情(特に怒りや憤り、恨み、執着、物質へのこだわり)は卒業しているはずです。
嘆いたり怒ったり泣いたり、ということは基本的にはありません。
愛情に基づく叱責や心配を時に抱くとしても、彼らが地上の人々に向けるのは、理解・受容・願い・祈りです。なぜなら、彼ら自身がそのエネルギーを注がれて地上人生を卒業し、“今”に至っているからです。
そこでは皆さんの知っている“その人”とは違う人のように感じるかもしれません。けれども別人でないことは、言葉にこめられる愛念から分かるでしょう。
ここまで「本来の霊界」について伝えてきましたが、全てではありません。
地球霊界全体から見ると、三分の一です。
あとの三分の二は、高級霊界と神界という次元です。
皆さんが高級霊界や神界についてイメージできるか、と言うとそれはほとんど無理でしょう。その世界について言語で伝えるのは非常に難しいという前提もあります。
いわゆる「霊界」についてすら、ここではまだ一部を伝えたにすぎませんから。