スピリチュアルヒーリングの実際・2
<スピリチュアルヒーリングの実際・1>で、どういう気持ち、どういう意識でヒーリングを施すのか、おおよそのところは分かって頂けたでしょう。
ここでは違った角度から伝えます。
この項では皆さんの理解を要求致しません。
情報として、あるいは原理として読んで頂けばよいところです。
あなた方が生きる、とは「意志」と「その顕現」のふたつの要素で表されます。すなわち、ある方向性を形にする、ということです。それは「エネルギーをどう作用させるか」と言い替えられます。
本来、全ての生命が作用させるエネルギーの方向性は同一です。
健やかさ、喜び、に向かうのです。その行き着く先は大いなる意志、つまり神、になります。
「神」のエネルギーは意志と顕現、つまり方向性と実体化です。あなた方が「生きる」ことが神の意志をそのまま顕現していることになるのです。
これを、あなた方が意識できる最も微細なレベルで表せば、「霊的エネルギーは、電気的エネルギーである」となりましょう。とは言っても、あなた方が共鳴し、つながり、受けることのできる霊界の次元は、地球霊界全体から見れば下層の次元です。
“電気的”と言い替えられる次元より上位の層にももちろんエネルギーは作用し、その次元のエネルギーによって霊たちは生きています。ただしかし、地上的な“電気的”エネルギーとしては感知できません。
あなた方が霊界側から霊的エネルギーを受けるのは「導き」であったり「援助」「手助け」であったり、「愛念」です。それら全ては、その次元に生きる霊を通じて注がれるのですから、その霊がいわば「通路」となってくれているのです。その霊が生きている次元のエネルギーを、あなた方に作用できる次元のエネルギー(電気的エネルギー)に変換して注いでもらっているのです。
あなた方を導く霊たち、愛念を送ってくれる霊たちもまた「霊力の通路」なのです。
注がれる「霊力」も、あなた自身の魂から発される「地上で生きる意志」も、電気的エネルギーです。そしてそれを顕現させるのにもエネルギーを要します。
あなた方が「(ふと)思う」とか「分かった」とか、「考える」「気づいた」という意識化は、理性の層(からだ)次元での顕現です。「意識化」とは脳内で起こる物質的反応ですから、そこで体内物質の移動・反応が引き起こされていることになります。
「顕現」を生体内で実現するには電子の移動(増減)によってなされます。
あなた方の通常の意識状態は、考える、判断する、思う、という範囲内で、一定量の電気的エネルギーを常時必要としています。
単に“生きている”という肉体的状態のみならず、オーラの各層も「活動」(魂の意志の顕現)するためにはエネルギーを要するということです。
しかし、普段の活動以上の意識活動、及び肉体活動の時は当然、普段を上回るエネルギーを必要とします。
意識の活動であれ、肉体の活動であれ、電気的エネルギーが指示をし、それに反応する形での物質の移動・反応・変化があるのです。
「指示」の役を担うのが物質的次元において(ここでは、あなた方が意識できるという意味において)は、電子だと言えます。
つまり、あなた方が自らの「活動」のみならず、自分以外の存在(あえて、「人間」に限定しません)に何らかの作用を及ぼそうと意志するならば、対象となる存在の電子に作用するのだと、いうことになります。
ヒ-リングに話を戻すならば、対象者とヒーラーに共通のもの、共有しているものはエーテルエネルギーです。
もちろん目には見えませんが、あなたを取り巻く空間に、そしてオーラの各層と同次元に、無尽蔵に存在するエネルギーです。
このエーテルエネルギーは、各次元における「顕現」に用いられます。
あらゆる次元での「意志」が「意志」として顕在化する時に、エーテルエネルギーが使われるのです。
その意味で、エーテルエネルギーは全ての存在を通貫します。出入自由ということです。あらゆる意志を顕現するのですから、いかなる作用も引き起こすということ、作用によって顕現する次元も形も「意志」に応じて自在だということです。
あらゆる次元をも通貫するのですから、時間・空間の制約を受けません。
あなたが、対象となる人の癒しを祈る時、そこでつくられる状態は、対象者と霊界、両方に共鳴し通路となることです。起きている現象から言うならば、あなたを通じて霊界からの電気的エネルギーがあなたの「からだ」の各層に顕現され(エーテルエネルギーによって)、同時に、顕現された「意志」は、対象者の各層の「からだ」にも顕現されます(エーテルエネルギーによって)。つまりあなたの霊体に顕現されている「健やかさへ向かうように」という「意志」は対象者の霊体に「健やかさへ向かう」という「意志」として顕現されるということです。以下、あなたの理性体から対象者の理性体へ。感情体から感情体へ。肉体のダブルから肉体のダブルへ。
これが横の共鳴と作用です。
と同時に縦の共鳴と作用もあります。
あなたの霊体に顕現されている「健やかさへ向かうように」という「意志」は、対象者の霊体に「すこやかさへ向かう」という意志として顕現されますが、対象者の魂は元来「健やかさへ向かう意志」を自らの霊体以下に顕現しようとしています。
健やかさへ向かう意志は、魂から変換され、霊体以下の各層に作用しているはずのものなのです。
ヒーラーが霊界を通じて「癒しのエネルギー」を注ぐ時、対象者自身では足りなかった「健やかさへ向かう意志」のエネルギーが共鳴増幅されますから、霊体以下、各層において変換、顕現される健やかさへ向かう意志のエネルギーの総量は格段に増えることになります。
以上の縦と横の共鳴・増幅によって、健やかさに向かう意志のエネルギーは、普段の定量をはるかに超えます。
その「意志」が肉体への指示として顕現される時、エーテルエネルギーが電子を動かし、そこで電子は具体的指示の役割を担って物質的に作用することになります。
電子の移動は物質の状態変化、あるいは物質そのものの変化として表れますから、生命体においては、物質の移動・反応・変化として認識されるのです。
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今回のメッセージの内容は難解なので、補足の質問をしてみました。
それでもやはり難解ですね。
霊団からも言われているように、無理に理解しようとせず、原理に関するひとつの情報として一読すればよいのだと思います。
もちろん、何かひらめいた人はご投稿ください。
Q) | 霊的エネルギーが電気的、というのはどういうことか? | |
A) | 前提1) | 全てのものはすでにエネルギーを有している。 それは波長・振動数と表現できる。 |
前提2) | 神というおおもとは、エネルギー的に言えば“静止と同一の高速回転”である。変化・動きの方向性(ベクトル)のうち、全く無駄のないものが真円球運動であるから。 完璧でありながら、さらに完璧を推し進めるべく進化するならば。 神から分かれる種々のエネルギー形態は、一定の完成形を保ちつつも、徐々に完璧さを欠いていく。エネルギー的に特定の方向性、動きの特徴として表れる。 それを波長、振動数と呼ぶ。 |
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前提3) | “電気的“と認知されるレベルの霊界は、霊界全てではない。地上の次元に近い霊界である。 さらに精妙な次元における霊的エネルギーは、“電気的“とは呼べないのであるが・・・。 思念・想念・意念・愛念などが顕現されるには、移動(発現という名の動き)が必要である。“移動”は、差異によって生ずるのであるから、最も単純化される差異は、対になる陰と陽、正と負、ということである。 |
スピリチュアルヒーリングの実際―――補足
「治らない病はない。しかし治らない人はいる」
同じようにヒーリングを施しても、たちどころに治る人がいれば、全く効を奏さない人もいます。
スピリチュアルヒーリングの目的は魂以下肉体(言動)に至るまでの“からだ”の調和を図ることです。
結果として治癒がもたらされる場合はもちろんですが、調和を図った結果、地上を離れるという場合もあります。
ここでは“地上的に”治らなかったという場合ではなく、治りにくい場合、どういった原因が考えられるかについて伝えます。
ヒーリングは、治癒を目指すものですが、(以前にも伝えたように)「地上的な死は、失敗や敗北ではない」ということを、改めて確認しておきます。
ヒーラー側の原因
・対象者への共鳴度の不足
・対象者の持つかげり(不調和の原因)に強く共鳴してしまう要素を持っている。特に自己否定。
・経験不足。それに伴う自信のなさ。
対象者側の原因
・治癒の意志の欠如(現状への依存:それによって何がしかの“喜び”が手に入っている)
・ヒーラーへの不信
・時機に至っていない
対象者側の原因のひとつとして挙げられる「時機に至っていない」ということについては以下の理由によります。
肉体的・精神的不調和(病・病的状態・けが…)は偶然もたらされた災難ではありません。
その不調和が発現するのはカルマの反映です。
これは埋め合わせ、気づくべきこと・学ぶべきこと・周囲に学んでもらうことがある、という意味です。
これはヒーラーが肩代わりすることのできないものです。霊的エネルギーを注ぐことによって、「気づきや学び」への援助はできます。しかし「埋め合わせ」は、本人が経験するなかでなされるものです。
治る準備の整った人、つまり不調和のなかで「埋め合わせ」が完了に近づき、また「気づきや学び」があった(または、それに近いところまできている)ならば、霊的エネルギーの注入で「治癒」という結果に至ります。
ヒーラーのもとを訪れる対象者の全てが準備が整っているわけではありません。ヒーラーとの出会いによって準備を整えていく場合は一度の治療では「治癒」には至りません。何度かの治療を試みるなかで、治る準備のための援助をヒーラーにしてもらう場合がそうです。
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堀江の場合
この人の場合は、自身がヒーラーである点で、特殊な例です。
未だ完全なる治癒に至らない要因は以下の通りです。
・霊媒という役割上、対象者の不調和の原因への共鳴度が高い。そこにヒーリングを施す際、対象者の心身の不調和を受け取る。本来ならばそれを排出するのも「通路」としての役割である。
しかし、課題として持っている「自分(の感情、欲求、能力、持てるもの全て)を出す」という点をまだクリアできていない。ゆえに、受けたものも自らの内に抱えることになる。
・けれども、この人の病の意味は、一方で「自らの身を以て多くの人に気づきと変化の機会を提供する」というものであるから、短期間で治癒に至ることを、自身の魂は意志していない。
気づき、変化、意欲、癒しの力の高まりを一定の人々にもたらしてこそ準備のひとつが整う。
・カルマの重さから言えば「多くの人々の喜びを失わせる原因を作り、期待と希望を裏切る結果になった」のであるから、「多くの人に期待や希望を抱かせ、喜びをもたらす」のが埋め合わせである。よって、ヒーリングを必要とする人たちとの関わりを絶つ方法で“おり”を溜めないという方法を選ぶことは許されない。「働き」のなかで喜びをもたらすとともに、自らの課題を越えるなかでこそ、自身の治癒も、ヒーラーとしての能力の向上も得られる。
このように、病(病的状態、精神的不調和も含む)の持つ意味と、治癒への条件はひとつではありません。
この人に限らず、「治癒」は、いくつかの条件(つまり、治る準備)が整って初めてもたらされるのです。