霊界通信 「霊的法則の基本」悠々塾ホームへ

 霊的能力

ここまで伝えてきた霊的世界を、ほとんどの人は見聞きできません。皆さんが持ち合わせている感覚では捉えることができないからです。
しかし、本来の霊界にしろ幽界・暗黒界にしろ、それを穿わせるかけらは皆さんのなかにもありますから、自分なりの想像力を働かせて思い描くことはできるでしょう。

けれども持ち合わせている感覚の範囲が広くて、肉体を介しては見聞きできない範囲を越えて分かる人たちもいます。皆さんはそれを霊能力超能力と言います。このふたつは同じではありません。
超能力とは、人間の身体に備わった機能(例えば視力・聴力・腕力など…)がさらに高まり、一般的(平均的)な程度を超えたものを指します。
この能力を発揮する時に使われるエネルギーは、その人本人のオーラから取り出されます。

霊的能力とは、霊界からの援助のもと、発揮する人を通路(道具)として霊界からのエネルギーが使われる場合を言います。
そこでは、霊界側の明確な意志、目的があるのです。
通路(道具)として適しているのは、敏感な感覚や感受性を持つ人、共鳴や共感しやすい人です。このような人を霊媒と言います。
霊界側が特定の目的のために必要とされる霊媒はすでに選定され、能力発揮以前からそのための準備が本人の知らないところでなされています。

それとは別に、一般には見聞きできない情報を得たり、その人しか知らないことを当てたりという力を発揮し、「霊能者」という肩書を有する人は数多くいます。
この場合、その人を通じて表れるエネルギーの出所がどの次元のものなのか、が問題になります。共鳴し、つながっている霊界がどういう世界か、です。どの次元の霊がどのような意志・目的で、その霊媒を使っているかが大事です。
憑依の原理は非常に簡単で、皆さんのふとした心のかげりにも幽界とのつながりができることはすでに伝えました。ですから、一定敏感な感覚や感受性を持つ人が憑依の影響を受けた場合、憑依霊の見聞きする次元の情報を「分かる・見える・聞こえる」と思ってしまうことはよくあります。

霊媒の情報源がどの次元にあるのかを見極める方法はふたつあります。
ひとつは「内容が霊的法則にかなっているかどうか」です。基本的な知識を持っていれば、判断できます。
例えば、「あなたには守護霊はいません」とか、「私が守護霊をつけてあげます」などと聞いただけで、「守護霊」が何たるかをその霊媒は全く知らないと分かります。
また、「誰々が迷っているから(成仏できていないから)助けてあげる」と言って多額の金銭を要求するなどというのは論外です。
霊能者と言えども生計の維持は必要ですが、霊を本来の霊界に送るために必要なのは、金銭ではなく、愛念のみです。そこに掛かる費用は不要なはずです。

もうひとつは「内容がその人の役に立つものかどうか」です。たとえ厳しい叱責や指摘でも、その人が問題点を認識し、健やかな心へ向かうためのものならば、いずれは役に立つでしょう。聞こえのいい言葉が並んでいても、では一体どうすればいいのかが分からなければ、役には立ちません。
また、情報として酷いものや辛いものがあっても、そこに連なる説明が法則として一貫性があるならば、やがて理解や納得につながるものです。

「あなたの前世は何々でしたよ」「あなたは前世でこういうことしましたよ」と聞かされた時、それだけの情報であるならば、何の役にも立たないのは分かるでしょう。単に興味をそそるだけです。
その人生でどんな不十分さや至らなさがあって今の人生があるのか。だから今をこれからをどう生きたらいいのか。どう生きようと決めて生まれてきたのか。それが伝えられてこそ、情報は意味を持つのです。

低級霊でも神を語り、自らが神であるかのように言います。人が心を乱し、翻弄されるのを喜ぶ未熟な霊もいます。「霊」ですから、人の気持ちを読み、他界した人、迷っている人のことも多少は分かります。
あたかも自分が全てに通暁しているかのように言い、注目や評価を得たいと欲する霊もいます。
そういった霊は、「自分を特別だと思いたい、思われたい」という自己顕示欲や、「自分は普通の人とは違う」といった高慢というかげりに共鳴します。
また、非常に寂しい思いをし、自分がかわいそうで仕方のないというかげりにも引き寄せられます。
取柄のない自分を嫌悪するかげりにも共鳴します。このようなかげりがきっかけとなって低級霊・未熟霊・邪霊の影響で「霊能」を得たかのようになってしまう人が、実はとても多いのです。しかしそれでは人を幸せにはできません。

しかし、本来の霊界側が霊媒を使う目的は、愛と摂理の顕現です。法則を伝え、愛に目覚めさせていくためです。

「霊媒」や「霊能者」と呼ばれるような力を持たなくても、皆さんも「霊力」の通路にはなれるのです。
それは、霊界側の意志・目的にかなった心を持つことで十分です。
人を思いやる心、自分を役立てようとする心、人のために祈る心、人の幸せを願う心、正義や公平公正を尊重する心。そのどれもが霊界側が地上に顕現しようとする愛と摂理にかなった心です。
つまり、人間としての優しい心と正しい心で生きることが、あなたを霊力の通路にするのです。
その意味で、誰もがそうなれるのです。
そしてそれぞれに備わった愛の要素(傾向)が霊界からのエネルギーによって増幅され高まったり、才能を開花させたり、霊的交信が可能になったり…というように、本来持つ力が表れるのです。

本来、霊的能力とは、自らが霊力の通路(道具)として喜びをもたらそうとするなかでこそ開かれてゆくのです。