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 守護霊とは

皆さんは、等しく神性を宿した“神の子”です。守護霊もまた、同じ神の子です。しかし、学びの程度においては大きな隔たりがあります。

皆さんは「自分の守護霊は誰? どういう人?」と聞きたがります。しかし、守護霊という段階に至った者について、「誰?」という質問自体、成り立つものではありません。

皆さんの近親者ですら、今回の地上人生を終え、霊界に戻って地上的な感情を昇華してしまうと、地上に生きていた時と比べると、「思い方や考え方」が違ってきます。より正しくより優しくなるのです。
守護霊は、その次元よりもはるかに高い次元、つまり状態の変化を重ね、学びを進めていった霊なのです。ですから地上人生の経験はあっても、もはやその時の人物と同一ではないのです。
たとえ、皆さんに「あなたの守護霊は○○時代の○○さんだった」という情報を提供しても、そこには何の意味もありません。知ったとしても市井の人、一般庶民のなかのひとり、がほとんどなのですし、名前すらなかったかもしれません。
大事なことは、名前ではなく、「守護霊とはどういう存在であるか」なのです。

守護霊は、地球霊界においては、高級霊界に入るひとつ前の段階にいます。自らの学びを進め、貢献の喜びを重ねたあと、「ひとりの霊を導く」という学び・貢献を卒業し、高級霊界へと歩みを進めます。そこからは、ひとりの霊を導く段階を経て、さらにスケールの大きな“導き手”としての働きや学びが始まります。

皆さんは今の人生以前の人生(過去世)があります。守護霊は、その全ての情報を把握しています。
前の人生を終え、霊界でその人生を理解・納得する段階の時にも導いています。そして再生の必要がある場合、次の人生のプラン(課題の提示、目的の設定)を一緒に決めるのです。
その霊(あなた)が地上に再生してからも、ずっと見守り、導いています。しかし、霊界で導いていた時よりもさらに次元の隔たりが大きくなりますから、守護霊からの直接の思念や愛念は(地上のあなたには)届きにくくなります。よって、「指導霊」が複数、間に入ることになるのです。
守護霊からの総合的な導きを、指導霊が分担して担うという仕組みです。ですから指導霊は、守護霊ほど学びの段階は進んでいませんし、地上の皆さんとも共鳴しやすいのです。守護霊はひとりですが、指導霊の人数は決まっていません。守護霊は皆さんを霊界においても、地上においても見守り導き続けますが、指導霊は、今回の人生設計に合わせて配剤された“コーチ陣”と思ってください。必要に応じて交替もあり、一時的な参加もあります。
皆さんの他界した近親者が臨時で加わる場合は、指導霊の“補助”としてです。ですから知っている範囲の近親者が守護霊になれるはずはありませんし、初めから指導霊として参加している、というのも珍しいこと、になります。

守護霊は、「個と個の関わり」の次元における最高学年の霊です。ですから、個人的な感情よりも全体との調和を優先させます。その人の魂の意志・魂の意識と地上のその人の言動を調和させていくことを目的として導きます。それが守護霊の働きです。

「その人にとって都合の良いように」というために導くのではありません。幸運を運ぶ存在ではありません。
その人が課題を越え、人生の目的に従って生きていけるように、というのが導きの方向性です。時に厳しい試練をもたらし、苦しみに喘(あえ)ぐ状況に置く。敢えて失敗するように計らう。このような時皆さんは、「自分は運が悪い」「守護霊がいないからだ」と思うようです。
しかし違います。
全ての人に守護霊・指導霊はいます。全てが導きのなかで起こることなのです。自分にとっての辛いこと、嫌なことは、見捨てられ、見放されたからもたらされているのではありません。

うまくいかない時こそ、守護霊は皆さんを注視しています。じっと見守っているのです。そこで何を思い、どう行動するのか全て見ています。
「こうすべき」という思念と、「こうであるように」という愛念とを同時に送っているのです。

いかんせん、皆さんは何度もその思念・愛念に添えず心をかげらせてしまう場合が多いのです。しかしそこで守護霊は見放したりはしません。必ず次の機会が提供されることを知っているからです。
逆に、うまくいかない時に課題を越えることができた時は、守護霊からの祝福が注がれます。それは「大変よくできました」というお褒めの言葉ではありません。
何度やってもできなかった子供が初めてできた時の親の喜び方、手放しの喜び方をしてくれるのです。ひとつのカルマが解けるのは、その人の魂にとって“進化”を意味するからです。

皆さんが地上人生を終え、守護霊と“対面”する時、恥ずかしさにいたたまれず目を伏せてしまうのか、それとも堂々と胸を張っていられるのかは、皆さんの生き方、暮らし方次第です。
しかし、目を伏せた人に対しても必ず「達成できたこと」は知らされ、ねぎらわれ、ほめられます。できなかったことや過ちを糾弾されはしません。改めて教え諭(さと)されるだけです。なぜならば、いかなる過ちや失敗の奥にも、必ず、その人が求める喜びの要素があることを分かってくれているからです。

「誰ひとり分かってくれる人はいない」という孤独のなかにある人にほど、守護霊の存在を知って頂きたい。偽りや欺きを重ねる人にこそ守護霊の存在を知って頂きたい。
その存在の前では皆さんの心を決して覆い隠すことはできない。光もかげりも両方の心を、全て見通し、慈しんでくれる存在だからです。

地上への再生を繰り返し、学びを進め、その霊の生きる次元(境涯)が高くなった時、いつか守護霊がその姿を見せてくださる機会が与えられるでしょう。
しかしそれも、守護霊が波長を落とし、同時にエネルギー的援助をしてその霊の次元を引き上げてくれる結果、やっと“見える”ようになるのです。その瞬間、次元を越え、時間と距離を越え、ずっと寄り添って頂いていたのだという喜び、感謝、懐かしさに満たされます。至福の時です。

守護霊自身も、「個と個の関わり」を卒業し、高級霊界に歩みを進めますが、それまでのつながりが絶たれてしまうのではありません。
霊線は「絆」として残ります。
守護霊自身にも守護霊を導く霊(守護霊の守護霊と言っておきます)という存在があるのです。
この「絆」の連なりは高級霊界、さらには神界へと続いています。そして最終的には、神へとつながっています。

神が「全てについて通暁している」のは、全ての生命に張りめぐらされた“つながり”があるからなのです。