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 ■0453■メッセージについて――導くということ―― (02.9.24)
                     (これも霊団からのメッセージです)

霊界側からあなた方に対してなされる働きかけは、「地上人類の霊的進化」という目的を軸に、「地上界の浄化」という大枠(段階)のなかの「実践」という具体的な時期に沿ったものです。
私たちは(霊的)真理の普及だけではなく、それに基づく「実践」をあなた方に強く求め、それを促すためのひとつの方法としてメッセージを伝えるのです。メッセージの対象・分野・内容は限定しません。しかし、あなた方ひとりひとりに、その時々で必要な「導き」を伝える場合は(個人メッセージ)単純・簡単にはまいりません。それはあなた方に感情――"自分"の気持ち――があるからです。さらに言うならば、「頭では分かっているけれど」「それは知っているけれど」という断り書きがついて回ることが多いからです。特に自分の問題点・課題・至らなさにまつわる事柄に関してはそうです。

私たちが「個人」に向けて導くべきは何か。それはその人の魂の進化・向上への道筋です。ですから地上的に思い通りにいく・願いがかなうという結果には至らない場合もあります。ご存知のように、今のあなた方の人生は、かつての人生のカルマを背負い、その解消と同時に何かしらの貢献を目的として設定されたものです。
これまで繰り返された人生で作ってしまった負債を返すのは、地上的な「喜び」としては受け取れない形になります。辛い思い、苦しい状況、悲しみ、報われなさ、といった「喜べないもの」によって返済の作業をしなければならないことが多いのです。

しかしそれでも、人は喜びや幸せを求めます。
どんな状況のなかにあっても求めるものは「光」なのです。
そちらに向かう手立てとして、「導き」はもたらされます。

多くの場合、「今の喜べない状況を喜びに変えるために、あなたは、こういう気持ちでこうしていくように」という導きがなされます。それを読むと、「そうすれば苦しい状況はなくなり、求める喜びが得られる」とあなた方は思います。求める喜びを手にしたいから、今の苦しさから解放されたいから、提示された内容に沿って心を動かし、それに見合った言動をとれるように努めるでしょう。

さて、もたらされた導きに対し、実際にどの程度気持ちと言動を沿わせていくことができるのでしょう。「それはよく分かる」「そうだと思う」と納得しても、いざその通りにしていこうとすると、そこでの躊躇や抵抗感が生じ、なぜかそうできない。自分はその気になっているはずなのに。というパターン。「そう言われるけれど・・・・・・」というパターン。逆に、「そうするしかない」と懸命にやり遂げようとする人もいます。

最後の場合を除けば、導きに沿って自分を動かしていった、とは言えません。その場合まだ不十分なところをさらに補いながら、自らの言動を見ていく期間が続くのです。しかし、心と行為行動を導きに沿わせ精一杯頑張った、それなのに、結果的に「喜び」という形はかなわなかった。そういう場合はどうなのでしょう。

ここで思い返して頂きたいのです。私たちが導くのはその人の「魂の進化・向上」を目的としているのだという点です。地上に生きるあなた方の「今」に必要なのは、まずは負債を返すことなのです。前へ進もうとしても、背負った重荷のためにそれがスムーズにいかない。だからこその「再生」であり、「今の人生」であり、「この状況」なのです。

負債を返すために(カルマを解消するために)は、それに見合った心・行為行動が必要です。心とは、どういう思いを経験するか、です。それは自分が辛い思いをし、悲しい思いをする、ということだけではありません。正直さ・誠実さの限りを求められている場合もあります。かつての至らなさや不十分さに対応するものではあっても、単純に「同じ思いをさせられる(する)」というものではありません。たとえば、かつて人を裏切ったとして、今回の人生では、裏切られる辛さを味わう場合、どんな人にも正直であることを求めら続けられる場合、人を信じられない苦しさを味わう場合・・・・・・とさまざまです。

要するに、「提示された通りにしたのに、示されたような結果にならなかった」というところでだけ見るべきではない、ということです。導きに沿って、心と行為を尽くす必要があったからです。それが実は埋め合わせのひとつだった、と言えるのです。
だからと言って、皆がそうならないのではありません。導きに従って心を尽くした結果として、大きな喜びと幸せを手にできるのは確かです。しかし、この「喜び」も、「地上的な喜び」とばかりは限りません。その人がそのとき求めていた喜びではない別の形で喜びが(結果的に)もたらされることもあります。

あなた方の「魂の進化・向上」とそのための浄化にとって、今何が必要かをあなた方自身が全て把握できるものではありません。ひとつだけ分かるとすれば、「自分の嫌なところ」「自分の欠点(と思えるところ)」を変えていこうとする、その部分のみです。
しかし、それすらままならないのがあなた方の現状であり、しかも、自らの至らなさ・不十分さ・過ちすら、正面から正直に見ることさえできないことがよくあります。メッセージによる導きに、「指摘」があるのは、まずそこから始めねばならないからです。霊界においては一目瞭然の「心の動き」「心のありよう」は、地上では非常に不透明です。あなた方自身の心の眼(まなこ)が澄み渡っているならば、あえて「指摘」する必要などありません。

しかし私たちはこれに関しては致し方ないことと承知しています。なぜなら、その曇りこそ、あなた方の「魂の進化・向上」を阻むものなのです。それを払拭することが浄化であり、カルマの解消だからです。そのための手助け・導きとして個人向けのメッセージをもたらす以上、「向き合えない」という至らなさを前提として捉えています。学びが進むほど、自らの至らなさ不十分さがよく見える。どのような些細なところでもそれを改め、向上していこうとする。それが謙虚さであり、どこまでその魂が磨かれているのかを示すものなのです。

このように伝えてくると、「それなら、言われた通りにしてもいい結果にならないのなら、その通りにする必要もないし、受信する意味もないのでは?」「どこまで信じたらいいのか分からない」「信頼できない」という人もいるでしょう。

私たちは繰り返し答えます。私たちの目的の根本は、「その人の魂の進化・向上。これまで重ねてきた曇りを払拭すること」です。結果的に、「これでよかったのだ」とあなた方が思えるように導くことです。もたらされたものを受け入れず、否定し、心や言動を添わせるつもりなどない、と拒絶するのなら、それでもよろしい。今はその人がそうであっても、私たちは、情報として導きとしてその人に伝えることでよいのです。あとは時機が来て、別の導きによって、本人が気づくだけです。心の眼(まなこ)を開こうとしない者に無理強いはできません。しかし、読んだこと自体は否定できず、それは必ずその人に残るのです。いずれ時機がめぐってきた時に、役に立つのであってもいいのです。

今ある状況――それが個人のものであれ、社会のものであれ――を変え、喜びを手にしていくために人は道しるべを求めます。求める喜びに向かって、どう心を動かしどう行動していくべきなのか。私たちはあなた方の魂の進化・向上のために必要なメッセージをもたらしていくのみです。