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 ■1068■スピリチュアリズムと戦争  (03.4.14)

あなた方地上人類の霊性進化の過程において、必ず越えねばならないもののひとつが「戦争」です。地上界が形成され、そこに物質的な衣(肉体)をまとった人類が生きるのは何のためか。神の摂理と愛とを物質的次元に顕現させるため。言い換えれば、霊界と同様の世界を地上で実現させるためなのです。

ある時期以降、人類の歴史は対立・争い・殺戮、支配という要素を含み、それらによって規定されてきました。人類の価値観を左右してきました。結果は今の地上界の姿に表れています。ごく一部の者たちが富の集中によって独自の"幸福"を享受している。多くの者たちがそれに追随しようと躍起になる。取り残された大多数の人々は、ひずみを受ける。現状の全てを把握しなくとも、今の地上界が霊界とは全く異なる様相を呈していることは、誰の目にも明らかでしょう。

そもそもスピリチュアリズムとは、霊界とはかけ離れてしまった地上世界と地上人類に向けて警鐘を発し、あるべき姿に立ち返るための道標を示すために始まったものです。霊界側からの強烈な働きかけによって、霊的真理を普及し、霊的法則に従って生きることを人々に求めるものです。

その真理とは極めて単純明快なものです。「愛しなさい」。それだけなのです。
もちろん、愛とは全ての要素を含みますから、さまざまな形で表現できます。やさしさ、思いやり、親切心というだけではありません。正義・真実・尊重・公平公正。あなた方の知る限りの"人としての道"は全て「愛」から発したものです。霊界においては、これらは当然のものであり、言うまでもなく、その心で生きるのです。
あなた方がかつてイメージしていた「天国」は、何でも思うようにできる楽しくて気持ちのいいところだったかもしれません。しかし実際の霊界は、摂理に沿って愛を実践する世界であり、貢献と学びに喜びと幸せを感ずる世界です。そこには、自分の喜び、自分以外の者の喜びという区別はありません。

あなた方地上人類が目指すのはそういう世界です。現状との違いはあまりに大きく、それは実現不可能のように思えるかもしれません。今回の"戦争"も、力を持つ一握りの者たちが一方的に推し進め、それを食い止めることはできませんでした。けれども攻撃、破壊、殺戮に対する人々の違和感・拒絶・反発・反感は、これまで以上に高まりました。そしてそれは衰えることなく続いています。その思いこそが、いずれ全体の意識を逆転させます。

人々の願い、祈りがかなわなかったことで失望しないように。「結局は力を持つ者の言い分が通ってしまうのだ。」とあきらめぬように。たとえどんな理由を挙げ、それに納得したとしても破壊や殺傷という行為を正当化することはできません。地上で実践すべき「愛」に最も反する行為は、いかなる理由においても許されざるものです。容認してはなりません。しかしそこで抱くべき心は、怒り、憤り、憎悪、復讐心ではありません。
それでは破壊や暴力、殺傷の連鎖を断つことはできないからです。

ひとりでも多くの人々が、「戦争」という行為を認めず、人類が越えるべき過ちとして捉え、戦争を越える「友愛と協調、平和」を求めていくしかありません。そしてひとりひとりが自らの日常に目を向けて、怒り、憤り、憎悪、復讐心の芽を摘んでいくことです。分かち合い、補い合う人間関係が基盤となる社会を目指すのは、ひとりひとりの実際の暮らしにおける実践です。できる形で役立とうとするところからです。「平和」とは「戦争をしないこと」だけではなく、人と人との間に結ばれる"互いを大切にし合う関係"が全体に及んだ状態です。

スピリチュアリズムを知ることで、あなた方は自らの生き方を振り返り、神の御心にかなった人生を歩みたいと思ったはずです。スピリチュアリズムに触れて、「愛情の実践」の大切さを知ったのならば、それまでよりも思いやりのある自分に変わっていくでしょう。

「戦争」という自分たちから遠いところでの出来事は、実は自分たちの生きる姿勢と実践によっていずれ消滅する。直接阻止の働きはできなくとも、そういった形でも戦争の消滅に貢献できるのです。ひとりひとりの「愛情の実践」、「貢献」は「戦争」と対極にあるエネルギーの発現だからです。

スピリチュアリズムを学びながら、「戦争」を肯定・容認する人々もいます。しかし私どもは繰り返し伝えます。いかなる理由があろうとも、「戦争」を正当化することはできない、と。

"いのち"も"物質"も全て神からの授かりものです。それらを殺め、傷つけ、破壊する権限は誰にもありません。いのちを尊び、いのちを喜ぶことこそ神の御心に沿うことです。

スピリチュアリズムは魂の永遠性を説き、地上に生きる者全ては神の分霊だと明言しています。その神の分霊を殺める、地上から抹消することは神への冒涜であり、暴挙です。いかなるいのちも同じ重さと尊さを持つ。
正義の名のもとの殺戮などありません。

戦争を肯定・容認するスピリチュアリストがいるならば、彼らこそ、今いちど根本に立ち返って学び直さねばなりません。霊界側が地上人類に向けて働きかけを続けているのはなぜか。霊界側があなた方地上人類に求めているのは何か。どういう生き方なのか。
不正・不正義・不公平・差別・抑圧・支配・貧困・飢餓・病・・・あらゆるかげりを一掃するための指針としてスピリチュアリズムがあり、それを実践していくのがスピリチュアリスト、スピリチュアリズムを学ぶ者のつとめです。

「自分にはその資格がない」と思う人はたくさんいるでしょう。自らの過ちを知っているからです。
しかし、過ちを犯したことのない者などこの地上にはいません。誰もが悔いを持ち、自責の念を持ちながら生きています。"取り返しのつかない過ち"はありません。全て償い、あがなうことができます。何によってか。
「愛情の実践」によってです。行為の大小は問題ではありません。自分にできることをできるところから形にしていく。それでよろしい。

過ちを悔い、自らを責めているだけでは過ちにとらわれたままの状態であり、それは埋め合わせとはなりません。自らの過ちを悔いる者こそ、「愛情の実践」に生きるべき人なのです。

スピリチュアリズムとは特別なものではありません。実践に資格など必要としません。全ての人が生き方の指針とできるもの、指針にすべきものです。全ての人の心にある「愛情」を少しでも広げようとしていくことが、スピリチュアリズムの実践なのですから。       (2003年 4月14日受信)