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 ■1878■冷え性について (質問への返信) (03.10.19) 

霊的に、というよりは、エネルギー的な意味をお伝えしておきます。
以前「天地悠々」に掲載したメッセージの転載ですが。
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〔冷え症〕
一般的には、「血液の循環がよくないために起こるもの」と言われており、「循環をよくすることで解消できる」とされている。しかし、物質的に「循環」や「血行」をよくするだけでは解消されない場合が多い。「血液」が象徴しているのは、喜びを全身にめぐらせること。言い換えれば、心全体に喜びが行き渡ることを表す。
 手・足・肩や腰と、それぞれ"冷え"を感じる部分があるならば、各部位に象徴されている要素に"喜べないもの"があることを意味する。

手・・行為、仕事、働きなどについて、喜びとはできないもの(不安・迷い・躊躇・抵抗感・・・)がある。
足・・行動、実際にしていくこと、何かをはじめること、踏み出すべき時などについて、喜びとはできないも    のがある。また、自分の生活や状況・状態に対して「安心できない=不安定感」がある。
肩・・担当・分担・責任などに喜べないものを感じている。
腰・・支える側にいる自分を喜べない。

それぞれの心の要素がありながら、「本当はどうすべきか分かっている」「どうしたいか分かっている」「どうあってほしいかの願いもある」。なのに、気持ちがついていかない。実際の行為行動に移せない。エネルギーの変換がオーラの理性の層、あるいは感情の層で滞ってしまっている状態。
この滞りを解消することが、エネルギーの変換を肉体にまで到達させることになる。つまり、「すべきこと」「したいこと」「こうであってほしいこと」を実際に行為・行動に移すなかで、次第に「喜びとできない部分」は解消されてゆくことになる。
女性に「冷え症」が多い(と言われる)のは、実行力、行動力、現実化というエネルギーが比較において、男性よりも弱いからである。「思っているのに〜できない。分かっているけれど〜したくない」といった割り切れない感覚を、より持ちやすく、溜めやすいからである。
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〔低体温傾向〕
人間の細胞における生命活動には"適温"がある。生命活動そのものに支障はなくても「最適な状態」には届かず不足しているのが、低体温である。「最適な状態」とは酵素を始めとする化学反応、化学変化の効率が最も良く、あるいは促進されることである。無駄がない、ということである。

心の側面、エネルギー的側面からみれば、その人の持つエネルギーが十分に働ききれない状態、心の不完全燃焼状態、つまり意欲の不足、希望の持てない状態、を指す。本来ならばもっと効果的に(十分に)できるはずなのに、そうなれない状態である。

ここには自分を取り巻く環境との関係性が反映されている。いかなる状況・条件のもとでも、本来、人は自らの心を安定的状態に保とうとする。状況・条件に対応しつつもそれに左右されずに一定の安定を確保しようとする。しかし、状況・条件・環境から影響をうけ、そこで意欲を高め意志を強くし、希望をもつことができなければ、喜びをもって生きるのは難しくなる。

今の世の状態を見た時、ほとんどの者は希望や意欲をもって先を見つめたり今を生きたりしにくい。特に若者や子供たちは、物心ついた時から、どこかで「あきらめ」を知っている。それは大人たちが発している雰囲気、社会全体の閉塞感を肌で感じて育つからである。
夢を描いたり、理想を語ることよりも、現実のなかで少しでもうまくいくようにと求められながら成長するということは、初めから「無難に」「上手に」「妥当なところで」というラインを定めてしまう。それは本来の自分(目指すべき自分)――これが「最適」ということ――以前の段階である。

高い意欲、強い意志、大きな希望を持つことなく、現状維持を目標にしてしまえば、「それ以上」は望めない。その意味で低体温傾向は、社会の閉塞感に対応している。この身体的状態を健やかさに近づけようとするならば、本来は社会のありようから考え直さねばならない。

しかし、本人が、「今よりもっと自分らしい自分」に近づいていこうとすることによって(それは、ずい分と"エネルギーを要するのだが・・・)解消に向かうものである。
 ただ、「自分らしい」ということが分からなくなっている人は、自分自身を見つめることから始めねばならないだろう。自分にはどんないいところがあるかを肯定的に見、嫌なところも客観的に見る。そこから自分の姿を知ることになる。そのうえで、どういう自分として生きたいのかを思った時、ようやく「理想の姿」がうっすらと見え始めるのである。

周囲の状況・条件・環境のなかに埋まってしまうと主体的に自分を見ることができないまま成長してしまう。その方がうまくやっていけるから。しかし、自らを知るというところから始めれば、今まで描こうともしなかった「理想の自分」を思うことができる。それが希望である。そこに少しでも近づこうとすることが意欲であり、意志である。状況・条件・環境をすぐに変えることは非常に難しいが、自分を変えていくことは今からでも始められる。

以上の作業をしてみても「自分らしさ」や「本来の自分」が見えてこないのならば、自らの守護霊からのメッセージによって導いてもらうことをお勧めする。また、子どもの場合、その作業を子ども自身がしていくのは無理であり、親から見ても「分からない」方が多い。その子が意欲や希望をもって、自らの未来を見ることができるよう、その手助けとしての受信もお勧めする。