霊界通信 「掲示板に掲載した主なメッセージ」悠々塾ホームへ

 ■1477■いわゆる「うつ状態」について 2 
  (天地悠々68号より転載)03.7.19

【病についての通信】 いわゆる「うつ状態」について 2  
1(「天地悠々」50号)では、その人の身に起こる出来事や心に生ずる苦しみから"心を守る手段"として「うつ」を捉え、それを解消していく方向性を示しました。今回は、社会のなかでの自分、社会と自分、人間関係における自分というところから伝えます。

<社会のなかで>
今の社会における基準は、力を持つか持たないかです。力とは能力であり、金銭であり、評価、学歴、社会的地位といったものです。それを持つ者は、多くを得、持たざるものは得にくいという仕組みです。
そこには人間としての心のありようはほとんど反映されず、価値基準から「心のありよう」は外されています。ですから、そこでは、「人間としてどうあるべきか」よりも「いかに力を獲得していくか」が幸せにつながる、という価値観を作っていきます。

多くの人は、それが自分たちの気持ちや思いとは違っていて、矛盾も抵抗感も感じます。しかし、「うまくやっていくため」に仕方なく従っていきます。そのうちに、もともと感じていた矛盾や抵抗感はどうすることもできないあきらめとして処理されていきます。

しかし、そういったふうに思いを処理できない人もいます。今の社会のあり方に疑問と違和感を感じる人。力を得るための競争についていけない人。不公平、不公正、不正に憤りを覚える人。
それを仕方のないものとは処理できず、しかし、そこにある「社会」の壁の厚さにぶつかりながら、「本来はどうあるべきか」を思う時、心の置き所を見つけようもありません。「社会」を変えようと主張し、活動に向かえるのは、ごく一部の人たちです。多くは、抗い難い力の前で苦しさを抱えることになります。

また、今の社会で"価値あるもの"とされる力を持たないが故に、認められず、評価されず、さらには馬鹿にされ、押しやられ、さげすまれる人々。自分に自信を持てず、自己否定してしまう人々。
自分がどんなに心正しく心優しくとも、それを思えることなく、だめな自分としか見られない。そんななかで、自分の存在も自分の心も否定していく。

今の社会で認められていく「枠」に入りきれず、なじめない時、自分として生きていく自信がなくなっていくのです。そこから引き起こされるもののひとつとして「うつ的状態」があります。
人間は本来、社会という大きな枠、全体のなかで、そこに属し、そこで貢献することを喜びとして生きるものです。今の社会が歪み、偏っていても、「社会」という全体への帰属意識はなくせません。しかしその社会の歪みと、自分が持っている人間としての心とにずれが大きければ大きいほど、苦しさは増します。
 はっきりとした「うつ状態」とは言わないまでも、それに近いような心の状態――意欲がわかない――に覚えのある人は非常に多いのです。これは大人に限ったことではありません。子どもにもあてはまります。

<どう考えていけばいいのか、何ができるのか>
今の社会そのものが歪んでいるのだ、というのが大前提です。今まではそれに合わせようとしてきたことが無理だったのです。そして次に、「自分の心」を認めていくことです。社会に満ちている競争や不正、ずるさ、心の軽視、に比べれば、自分は誠実にやさしく生きていると認めるのです。もちろん人間の心には多少のずるさや不正直さが顔を出すことはあります。しかし自分の心全体をみた時、そこにある良心や善良さ、親切心は否定することのできないものでしょう。それを認めることが「自分の心に自信をもつ」ということなのです。「自信をもつ」とは威張ることとや傲慢になることではありません。誇りをもって胸を張るということです。

能力がないから、金銭や物質を得ていないから、学歴や社会的地位が低いから・・というようなことと、「人間としての心」は全く別のもの、次元の違うものです。どちらがより本質かと言えば明らかに後者なのです。
誰もが苦しさを感じ、自分の心すら認められないような社会は、人を幸せにする社会ではありません。幸せを感じられない人々が形作る社会は崩壊するのです。維持する力を持ち得ません。
けれども合わせよう、枠のなかに納まろう、とする人がいる限り、今までの価値基準は力をもち、支えられています。そこでは、ひとりでも多くの人が「心こそ本質」という本来のところに立ち戻るしかないのです。

うつ的状態、うつに近い感じに陥っている人は、この点を意識していく必要があるのですし、そう思っていくしか抜け出す方法はありません。悪いのはあなたではないのです。合わせるのに無理があるのです。
今の社会のあり方を、自分をとりまく環境を仕方ないと処理するしかない、というのは違います。社会のゆがみをしっかりと見たうえで、自分自身の心に価値を見出していくことこそ大切なのです。
そして、「うつ的」だから何もできない、と決めてしまわぬことです。少なくとも「思っていくこと」はできるのです。何も考えたくない、考えられないというのは、苦しいから逃げたい気持ちの表れです。しかしその苦しさを解いていくには、まず思うところからしか始まりません。

人間関係が苦しい、なじめないのは、歪んだ社会に合わせている人々の心が同じように歪みを生じているからです。そこでは弱い者、優しい者がしわ寄せを受けます。しかし、実は、しわ寄せを受けた人だけでなく、そうさせてしまっている人たちは弱さ故、恐れるが故に、苦しさを人に転嫁してしまうのです。背負えないから人にかぶせてしまうのです。彼らはうつ的にはならないでしょうが、心寂しくなっているのです。

社会においても人間関係においても、人間らしく自分らしくいられない人が増えているのは事実です。目の前にうつ的な人がいるのであれば、その人が「自分の心」を認めることができるように言葉をかけてあげることです。一度には無理ですし、本人がなかなかそう思えないでしょう。しかし根気強く認める言葉を向けていくうちに、その人の心にも力が湧いてくるでしょう。あなた自身がうつ的であっても答えは同じです。