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 ■0299■「嘘」についてのメッセージ (02.7.31)

嘘をつくのは悪いこと、嘘をついてはいけない、とあなた方は教えられて成長します。嘘をついた時、それが判ってしまった時、叱られ、反省を促され、あるいは諭されます。そのなかであなた方の意識では、嘘は「善悪」の「悪」の方に位置づけられるようになります。その結果、嘘をつく時、ついた時、あなた方は良心の痛み――「悪いことをしている」――を感じます。

ここで「嘘」そのものについて見てみましょう。
あなた方も分かるように、「嘘」は、その動機において大きく二通りに分かれます。ひとつは「自分のため」につく嘘。そしてもうひとつは「思いやる心」から出る嘘です。どちらも嘘をつく、という行為においては同じです。人を欺き、事実と違うことを口にするのですから。しかし、実際の行為が同じでも、その(霊的)意味合いには違いがあります。

「自分のためにつく嘘」は、やはり罪なのです。嘘、偽り、欺きは本来の霊界には存在しません。幽界・暗黒界のものです。本来の霊界にあるのは真実のみです。真実ではないことをいくら上手に作り上げても、それは真実にはならないのです。それによって自分が利益を得る、得をする、有利になる、優位に立つ。それによって自分を実際以上のものに見せようとする。それによって人を陥れる、傷つける、損をさせる。・・・。これらに共通なのは必ず「自分に何らかの喜びを得ようとすること」です。たとえ苦し紛れに仕方なくついた嘘であっても、それによって自分が窮地を逃れたり、安心したり…を動機とするならば、そこではやはり「何らかの喜び」を得ようとした、ということになります。

これらの嘘に関しては、あなた方の「負債」となり、必ずその埋め合わせをすることになります。どのような形であがなうことになるのか、形はさまざまです。同じような嘘をつかれることになるのか、本当のことを言っても信じてもらえないのか、大事な人がそういう目に遭わされてあなたがそのことで痛みを覚えるのか…。いずれにしても「ついた嘘」に相当する埋め合わせは必ずすることになります。今生でその埋め合わせができない、あるいは不十分であるならば、幽界・暗黒界で嘘にまみれた世界に浸り、気づくまでそこから抜けられないことになります。ここまでの状態に至る者は、過去世においても「嘘」にまつわる過ちを犯した者です。今回の人生では初めから嘘がついてまわったことでしょう。嘘によって何かを得るかもしれませんが、嘘によって身を滅ぼす可能性はとても高いのです。
しかしながら、大抵の場合、「良心の痛み」が伴うために多くの人は、たとえ後になってでも詫びる機会を得ることになります。それが仕方なくそうなったとしても。それは導き以外の何物でもありません。そこで味わったばつの悪さ、恥ずかしさ、申し訳なさも一定の埋め合わせ、となるのです。その時に、心からの謝罪ができれば、そこで埋め合わせは済む場合が多いのです。嘘をついたことのない人間などなく、本来あってはならないことでも、起こってしまうことならば、その過ちについては心から詫びることがそれを埋める一歩目だからです。

もうひとつの「思いやる心から出た嘘」については、次のように考えられましょう。それは、「自分のため」につく嘘ではなく、そのことによって自分が「何らかの喜び」を得るのではありません。むしろ嘘をついたという事実と痛みが自分のなかに残るのです。「嘘をつく」という行為そのものは、本来のあり方に添わないものです。しかし、霊的法則において何より尊重されるのはその「動機」です。動機に何ら曇りがないならば、霊的には許されるものになります。しかし、「行為」そのものに関しての埋め合わせはやはりしなければなりません。その埋め合わせがどういうものになるのかは、その人のカルマとの絡みもありますから、一様ではありません。そして同時にその人の「動機」が"喜び"をもたらしてくれることにもなります。それは、理解や共感や感謝、慰め、という気持ちを向けてもらえる、という場合がほとんどです。

「嘘」とは「事実」と違うもの。もともとの「何か」を歪めたのであれば、その「何か」が顕れることでその嘘は崩れます。何もないところに作りあげた嘘であるならば、何もない状態に戻ります。いずれにしても、嘘は事実・真実の前ではその力を失い、崩れていくのです。それが何ものも逆らうことのできぬ「真理・摂理」の流れだからです。

あなた方が育てられた「良心」とは、成長の過程で「意識化」されたもの、と伝えましたが、それは魂の意志そのものであるといえます。それに共鳴する事柄であるからこそ「人間のあるべき姿」として示されるのです。あなた方が「良心」に従うのは、自らの魂の意志に従おうとすることなのです。
良心の痛みが麻痺している者は大勢います。しかし彼らとて本当は知っています。「自分が間違ったことをしている」と。しかしそれを良心の痛みとして感じないように、自分に対して「何ともない」と嘘をついているのです。それは「嘘をつく自分を責めることすらできぬほど弱い自分」から逃げるための「嘘」なのです。嘘の奥の嘘を自らのなかに持つ者は、嘘をつくことに何の躊躇もなく、ついても平気でいられます。発覚しても"反省"できません。謝罪の言葉に事実はなく、それもまた嘘なのです。

今のこの時期は、こういった類の者たちの姿が浮き上がっていく時です。それを見て、その醜さを思う者は多いでしょう。嫌悪感を感じる者、呆れ果てる者、憤る者がいるでしょう。だから、それによって人々はそれまで以上に「真実」を求めるようになるのです。「嘘」の醜さ、虚しさ、許し難さを思うからこそです。この段階に今、あなた方はあるのです。
ただ、他の者の批判をするのはたやすく、自らを顧(かえりみ)るのは難しい。自らも事実や真実(真実というほどではなく本当のことであってもよろしい)に忠実、誠実、謙虚になっていくことが肝心なのです。
嘘をつくのはたやすいこと。
それを認め、詫びるのはそれより難しい。
嘘やごまかしのない、真実のみに生きるのはもっと難しい。
しかし、そうであろうと努めなければ、はびこった嘘の蔓(つる)はなくなることはありません。しかし、あなた方には「良心」があり、魂の意志に従おうとする欲求があります。そうであろうとしていくことが、あなた方自身を、そして全体を変えていくのです。最終的に「嘘のない」、「嘘をつく必要のない社会・地上界」にしていかねばならないのです。