■0466・0467・0473■霊界通信についてのメッセージ
(02.10.5)
霊界側からの働きかけは、地上人類の霊性進化を目的としてなされます。それは、"地上人類"の歩みが始まる以前から続いているものです。霊界において、地球霊界の進化のプログラムに参画を希望した霊たちが、地上に赴く準備を進めている段階からすでに始まっているのです。
霊界側からの働きかけは、地上のあらゆるもの、あらゆる事象を対象としてなされています。全て摂理に従って、摂理が顕現されるよう導いていきます。「霊界通信」はあくまでもそのひとつです。霊界側からの情報伝達の一手段にすぎません。より多くの人に"知ってもらうために"適した方法だから用いられるのです。
霊界からの働きかけは、あなた方自身にもなされています。人類全体の霊性進化と個々人の霊性進化は切り離されるものではないからです。ひとりひとりを導くことも、全体を導くことも、その重さに変わりはありません。全てがひと連なりであるという真理どおり、全ての人は誰一人もれることのない導きと働きかけの対象です。
ですから、見える形・見えない形さまざまに"働きかけ"はあるのです。
(続き)
地上人類の歩みが、一直線に輝きへと向かっているのではないことは、今や大多数の人々の知るところです。
その意味で、時代の推移とともに霊性進化を強く促す働きかけは必須のものとなりました。
ひとりひとりへの(見えない形での)導きでは追いつかぬほど、人類全体のかげりが深まったからです。
特に大きな戦い、病の流行、貧困や飢餓、経済破綻といった、多くの人々を一度に襲う恐怖・絶望・苦しみのなかでの導きは、「見える形」による方が力を持ちます。言葉という媒体があれば、多くの人に希望と意欲と救いをもたらすことができ、その喜びは広がっていきます。
「霊界通信」の目的は、まず人を恐怖と絶望から救うところにありました。真実を知ることによって得られる安心を、人々にもたらそうとしたのです。そこでは個別なことよりも、真理・摂理という普遍的なものを伝える方が必要でした。霊界、生と死、魂の進化という、人間にとっては未知の抽象的世界を伝えていくうえでは、仕組みや法則を基本に据えて伝えるのが適切でした。魂とは、霊界とは、人間の生死とは・・・の概略を地上の者たちが理解し、受け入れるのはそうたやすいものではなかったからです。
できるだけ分かりやすく、誤解を招かないよう、独自の解釈が入り込む余地をできるだけ残さないように伝える必要がありました。既に厳然たる秩序の元にある霊界の実相は、基本的な仕組みへの理解がなければ、地上の人間が勝手に自分の思いたいように捉えてしまう可能性があります。それは、霊界が「見えない世界」だからです。
霊界通信の役割は、人々に真理を伝えることです。この「真理」とは、「霊的なことについてのみ」ではありません。霊界のことを伝えるから、「霊界通信」なのではありません。情報の発信源が霊界であるという意味で霊界通信なのです。よって、内容は限定されません。
地上のあなた方は、知っていることよりも、知らないこと・知りえないこと・分からないことの方がはるかに多い。「未知」のものへは恐れを抱くと同時に、興味・関心も持ちます。恐れの解消によって安心と確信を得るのと同様、興味・関心を満たすことによって、納得と気づきが得られることもあります。
もちろん霊界からの通信は、それが必要と判断されればこそもたらされます。「未知」のもの全てに対していつでも答えが得られるというものではありません。
(続き)
通信の発信源が"霊界"であるとは言え、なかには未熟な霊からの「通信」もあるのは確かです。人心を惑わし、人々の気持ちを動かすのが面白い、という霊もいます。ただそこで、地上の人間が、高級霊・低級霊というレッテル貼りをすべきではありません。
魂の進化の階梯は無数です。全ての者がそれを上がるための学びを重ねています。地上に生きるあなた方もそうです。いわゆる高級霊もそうですが、未熟な霊も同じです。今はそれぞれ立つところが違うだけです。
地上のあなた方が手にした通信が、内容的に見て「これはどうか」というものであれば、あなた方はそこで何かを学ぶべきなのです。
あなた方自身が、導きと働きかけのなかにある以上、その通信がもたらされたのにも意味があるのです。
単に、「これは駄目だ。これは低級霊によるものだ」と言うためだけに、あなたがそれを読んだのかどうか。
そして、さらに言うならば、それらをひとつひとつ否定して回っても、際限はありません。
否定する根拠は本当に"正しい"のでしょうか。自分なりの思い方で判定しているのではないでしょうか。「こうすれば高級・低級の判別がつく。だから判別しなさい」と霊界側が勧めているのでしょうか。
大事なのは、理性・論理による判断です。
この、理性・論理の基本は、公正公平であることです。つまり、「これが絶対」「これが唯一のもの」という前提は不要ということです。また、自分の目に間違いはないという思い込みは、独善的判断へと結びつきます。判断する時はいつも偏りのない目で見なければ、見誤ります。
地上のあなた方は「知らないこと」の方が多く、しかも自分の感情に左右されがちです。「感情」は地上ならではの素晴らしいものですが、時として、判断を誤らせるほど、客観性や論理以上に力を持ちます。
かつて、多くの霊媒・いわゆる霊能者が、偏見や無理解という困難に遭遇したのも、地上の人々の「感情」があったからこそです。
今は認められ、評価されている人物・働きですら、その時々では強い否定や無視という扱いを受けもしました。この点からだけ見ても、人間が「高級・低級」、あるいは「間違いない」「全く駄目」という判断を下すのには、無理があります。もしも表明するのであれば、それは個人的見解・個人的感想、としてでしょう。そうであれば、それぞれの人はその見解や感想を参考にしつつも、「自分で判断」していくでしょう。それでよいのです。
ですから、この通信を読んだあなたが、どんな思い方をしても、私どもは影響を受けません。伝える内容を汲み取り、理解して頂けることもありましょうし、否定的・拒絶的感想をもたれるかもしれません。しかし、私どもは「真理」をあらゆる切り口から、機会あるごとに伝えていくのみです。そこで、ひとりでも多くの人が、何かに気づいてくれるのなら、それは私どもの働きかけの目的にかないます。