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 ■1502■被害者感情についてのメッセージ (03.7.29)
  ☆被害者感情について(コンプレックスを越えるために関連)のメッセージ

あなた方は、それぞれに今回の人生の目的を決めて生まれてきました。かつての人生で作ってきたカルマの解消と貢献(何かしらの役割を持って)がその内容です。人生の目的達成はあなた方の"学び"でもあります。それゆえに簡単にクリアできるものではありません。その過程でもたらされる試練・困難を乗り越えながら"学び"は進んでいくのです。

しかしながら、自らの身に起こる出来事を"学び"の材料として捉え、受けとめていくのは難しいものです。あなた方には地上的な感情があるからです。
嫌な思いをし、辛い目に遭い、理不尽さに苦しむ。その時持ってしまうのが「被害者(的)感情」です。自分は嫌な思いをさせられた。辛い目に遭わされた、理不尽さに苦しめられた―――傷つけられた―――という感情です。実際に辛く苦しい思いをし、傷ついたのは確かです。けれどもその思いが自分の側に寄るほど、「〜された」という感情が強くなります。

さらに"自分より"が強くなると、自分の側からしか物事・出来事を捉えられなくなります。相手の側に立ち、相手の気持ちを考え、相手の身になって判断することができなくなります。自分はこうされた(傷つけられた)という立場をとると、相手の非には目がいっても自分の落ち度や至らなさに目がいかなくなります。と言うよりも、「相手が悪いから自分がこんなに傷ついた」となると、人は非常に楽なのです。

そこでは、「傷つけられた」という立場は"強い"のです。「傷ついた自分」という「武器」を手にしたと同じになるほど、強いのです。「傷つけられた」と主張する人に対しては大抵は何も言えなくなる、つまり、何も言われずに済むのです。
「〜されたから」「傷ついた(傷つけられたから)」という感情は、別なところから見ると、自分の持つ「劣等感」を反転させて優位な立場、楽な立場(気持ちの状態)に処理してしまう作用も持ちます。「劣等感」が強いが故に、「被害者(的)感情」を持つことで、すでに持っていた「受け入れたくない劣等感を見ずにすむことに(つまり、気持ちがその意味で楽になる)」なるのです。

あなた方は経験的にそれを知っています。武器になると同時に、自分を守り、自分を正当化できるのも知っています。被害者的感情はその意味で甘美な薬(麻薬)的要素を持つのです。自分を見、相手を見る時の"公平""公正"という視点を麻痺させるからです。

忘れてならないのは、人との関わりにおいては、一方のみに非や落ち度、誤り、過ちがあったのではない、ということです。あなた方のそれぞれに"自分としての気持ちや都合・事情"があるのと同じように、相手にも"その人としての気持ちや都合・事情"があったのです。

それは、今回の人生のみで見たのでは分からないかもしれません。あなた(方)として、全く思い当たらないかもしれません。
しかし、冒頭で伝えたように、あなた方の今回の人生の目的はカルマの解消と貢献なのですから、身に起こること全てが目的(カルマ)との関連のなかということになります。かつての人生においては、逆の立場だった可能性、自分が傷つけた側だった可能性を考慮していかねばなりません。
それが、"霊的視点から見る"ということです。
今回の人生だけでは納得のいかないことでも、幾度も繰り返してきた過去世を含めて捉えたならば、見えてくる"可能性"、見るべき"可能性"は推測できるのです。それが「埋め合わせ」という厳然たる法則の適用です。

自分のなかにある"被害者的感情"は、なかなか手放し難いものです。相手に非がある、相手が悪い、というのは、比較において自分は間違っていない、自分が正しい、自分が良い、という意味を持つからです。
しかし、"霊的法則や摂理"に目が向き始めた者、学び始めていると自認する者ならば、この「被害者感情」を外した(霊的にも)公平公正な目で自分と人とを見ていくべきです。そして、これは人間関係を調和に向かわせていくうえでの大切な鍵でもあります。

あなた方は「傷ついた」と訴える人の気持ちに同調・共鳴します。それは自分のなかにも何かしらの被害者感情があるからです。これは、人への共感・共有という側面からは大事なところです。それによって人は救われ慰められていくのですから。実際に傷つき、打ちひしがれ、絶望している人に共感し、慰めや励ましを向けていくのは当然のことです。

ここで問題とし、あなた方に目を向けて頂きたいのは、「被害者的感情」によって、自分なりの思い方、見方に一方的な偏りが生ずる、という点です。本当に傷ついている人に対し、「それは被害者意識だ」と決めつけ、冷たくあしらうためのものではありません。
けれども、同調のみ、で終わらせてはならないのです。人間関係を調和に向かわせるだけでなく、「傷ついた」と言っている人の心の「自分寄り」を修正し、健やかなバランスを回復させていくためには。
それが本当の癒し―――全的健やかさの回復―――なのです。

一度、自らのなかの「被害者的感情」について振り返る機会を持ち、それを手放す方向へと気持ちを変えていけますように。