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 ■1497■コンプレックスを越えるために (03.7.27)

あなた方地上人類が越えていくべき"かげり"のもとをたどっていった時、そのほとんどが「比較」に行き着きます。「比較で心をかげらさず、違いを認めていく」というのが目標です。

あなた方は"自分"を捉える時、つい他者との比較で判断してしまいます。実は実体のない"普通"を基準にして"自分"を見てしまいます。他者より、あるいは"普通"よりも、比較において良い・多い・できる・持っている・与えられている…となれば安心し、気分がよく、得意にもなります。しかしそれが高じての自慢、高慢、さらに侮辱や偏見にも及びます。優位性、優越感です。

一方で、他者より、あるいは"普通"よりも、比較において悪い・少ない・できない・持っていない・与えられていない…となれば、不安を持ち、意欲を持ちにくく、がっかりします。劣っている自分を嫌悪したり、寂しく思います。劣っている自分を見るのは誰にとっても惨めなものと思ってしまいます。この、「劣等感」は多かれ少なかれ誰のなかにもあります。だた「劣等感」を種としながらも、そこから伸びる枝葉はさまざまな形をとります。個人差があるのです。

劣等感を頑張りに変える者、負けず嫌い、意地張りという形になる者。
自分の弱み、弱さを見せまいとして頑なになる者。
"気にしない自分"として振る舞う者。
"分かる自分・できる自分"であるかのように振る舞いながら、"分からない自分・できない自分"を受け入れない者。
普通の人とは違う自分、特別な人間であるかのように振る舞ってしまう者。
自分以上の何かを備えていたり、与えられている人への妬み、ひがみを持ってしまう者。
人の喜びや幸せ、成功を妬むだけでなく、人の不幸や失敗を願ってしまう者。
妬みやひがみを向けている相手を何とか否定しようとする者。…。

劣等感を種にしての枝葉の伸ばし方はこれだけではありません。劣等感がもとにある自己否定や自己嫌悪から、人に対して心を閉ざす者、やる気を持てない者、自暴自棄に陥る者もいます。何をしてもだめな奴、という決め付け。自分を認めることができないから、人のことも認められない。…。

「劣等感」という種は同じでも枝葉の伸ばし方がさまざまなのは、その人の持つ"人生の課題や目的"との絡みがあるからです。しかし、どの形で表れているかが問題なのではありません。どの枝葉であれ、繁ってしまうことで、その人本来の姿本来の心は隠れてしまうのです。

あなた方はそれぞれに輝く心を持っています。なぜなら全ての人間は神の分霊だからです。宿した神性が輝きを放つ以前の状態にあるに過ぎません。それぞれの魂に分け持ったそれぞれの要素こそが、地上的に"個性"と呼ばれるものです。それは全ての者に与えられています。しかし「一様に」ではありません。なぜなら各々が学んでいる事柄に違いがあるからです。
学ぶ内容の違いに関しては、地上のあなた方にはどうすることもできません。けれども、自分が学ぶべき事柄にしっかりと向き合っていくならば、分け与えられている輝き形を伴って表に出てくる、それは共通のことです。
 
あなた方は自らの輝きを本当は知っています。しかし、他者との比較において持ってしまった劣等感があるために、あるがままに輝きに目を向けられなくなっています。自分の嫌なところ、嫌いだと思うところは劣等感ともつながっています。それがあるのに、自分の良いところ、好きなところを認めたり、自分から言うのは傲慢であるかのように思ってしまうのです。嫌な自分の姿を誰よりも知っているのは自分だからです。ですが同じように見てみれば、誰にも見せていない自分の輝き、良いところを、あなた方自身は知っているのです。

それなのになぜ、自分の良さや輝きに目を向け、喜び、胸を張ることができないのか。
それは、あなた方自身の魂が「自分(たち)は、まだまだ至らぬ存在だ」ということを知っているからであり、神の前では謙虚だからです。自ずと、意識の奥底から傲慢にはなれない、なりようがないのです。至らぬ存在としての自分を見ることができなくなっていることを"傲慢"だと言うのです。至らぬ部分などないかのように思ってしまうことが傲慢なのです。"至らぬ自己"を知るからこそ、地上的なあなた方は自らの輝きや良さよりも、自らの不十分さや嫌なところに強く影響されるのです。

しかしこれも人類全体の霊性進化の過程において、次の段階に進むべき時を迎えています。
地上においては、「比較において心をかげらせること(優越感・劣等感)」を越えるのが、互いの尊重、違いを認め、喜ぶことです。学びの内容・程度の違う者たちが、地上という同次元で共に生きる、その最終的な目的が「違いを認め合い、喜び合いながら、相互に学び合うこと」です。これは、学びの内容・程度に応じて生きる次元が違う霊界においては成し得ないものです。地上界だからこそ可能になったテーマなのです。

ここで忘れてはならないのは、学びの内容・程度に違いはあれども、霊性進化の道のりから見れば、あなた方の間にそう大きな違いはない、という点です。持ってしまう(優越感も)劣等感も、地上的なかげりでしかありません。あなた方のそれぞれが、自らの内にある輝きをあるがまま見ていくことです。その輝きは、たくさんの言葉・要素として表現されます。

優しさ、思いやり、親切、心くばり、正義感、正直、素直、誠実、真面目、謙虚、明朗、活発、聡明、情熱…。これらの要素のいくつもが自分の心にあることをあなた方は知っています。自覚があります。嫌な自分から目を背けるのと同じように、輝く部分にも目をつぶってしまっているだけです。

自分に与えられている輝きは、神からの授かりものです。
与えられていることを喜び、その心を地上で発揮していく、役立てていくのです。
それこそが愛を実践するということです。