医療
あなた方の言う、“進歩”は、さまざまなものを細分化してきました。“医療”についてもそれが当てはまります。細分化されるにつれて大切なものから遠くなり、しまいには見えなくなっている、それが「心」です。
“医療”が「人」を対象とする限り、「心」をはずすわけにはいかないのです。「病」を扱うのであっても、「人」が病を得ているのであり、癒しの対象は病でなく「人」であり、働きかけをすべきは人の「心」なのです。(しかし、物質的な働きかけを否定しているのではありません。)
いわゆる科学や技術の発達が、肉体や病を物質的側面からみていく姿勢を強めてしまった要因です。見えない「心」よりも、見える「細菌」や「薬品」、「道具」といったもので説明し、働きかけていくことの方が“実感があったからだ”とも言えます。けれども、こういった物質的側面からの見方、治し方に限界があることは誰もが承知していることであり、ほかならぬ医療従事者こそ、日々実感していることのはずです。そして同時に、自分たちの預かり知らぬ力の存在を目にしたり、うすうす感じたりしながらも、それ自体が物質的な面からは“説明”できないために、納得できずにいるのです。
こういった限界に行き当たった時、実際に今、病んでいる者やその家族は、“別のもの”による癒しを手さぐりで求め始めます。それが自然医療というものであったり、気功治療であったり、食事療法であったりと、さまざまです。少しでも“希望”の見出せる情報を得れば、それを試そうとするでしょうし、無理をしてもやってみようともします。誰もが「癒されること」のために必死になります。
こういった現実を目の当たりにした時、今の“医療”に不足しているものを補わねば、というように気持ちを切り換えていける“医療従事者”がいてくれれば、事態は早く変わっていくでしょう。彼らにしてみても、目の前にいる“病んでいる人”を癒したいという気持ちは、「癒されたい」と願う人たちと同じなのです。むしろ、力の及ばないことに対する無力感や不甲斐なさを持ちながら、それでもできる限りのことをしようとしてはいるのです。
あと少し心を柔らかくすることができれば、「物質」というところからだけでなく、見えない「心」というところからも考えていく視点を持つことができれば、彼らはもっと、病んでいる者の役に立つことができるのです。
見えないエネルギーや心の力というものは、決して思い込みや、いい加減なものではありません。そこに一貫した法則や癒しの仕組み、病のメカニズムなど、論理的に説明できるものなのです。
そしてさらに、誰にでも与えられている「心」がその作用を担うのですから、“特別な人のみ”にしか扱えないものではないのです。
しかしだからと言って、現在ある“医療”をないがしろにするものでもありません。 例えば、検査や診断といったものは、その人の状態を把握するのに不可欠ですし、癒されていく過程を確認する意味でも、病んだ人に安心をもたらします。また、外科的治療が有効な場合も多いのですし、薬の手助けを借りることは否定されることではありません。
「病」というものを「心」の視点からみることによって、物質的側面からだけでは解消できなかった変化を迎え入れることができます。これからの医療は、「心と体」とで生きている人間を対象とする、「見えない心のエネルギー」と「見える物質」とを融合させての働きかけとなっていくべきです。実際に、医師や看護婦という立場の人が、そういうエネルギーによっても関わるかどうかはまた別として、病んだ人の「心」も含めてその人に関わっていくならば、その人にかける言葉、世話をする時の心持ちなどが大きく変わるはずです。それだけでも対象となる人の様子には違いが出てくるはずなのです。
そしてでき得るならば、見えないエネルギーによる病や癒しのメカニズムについて、基本的な知識を身につけて頂きたいのです。
見える側面からでも見えない側面からでも、病んだ人に関わる目的は同じです。「その人が癒されるために」ということです。その共通の目的のために、見える側面から関わる“医療”は、「見えないエネルギー、心のエネルギーによる癒し方」と手を携えていくべき時期なのです。