政治
いかに人々の心が結び合い、響き合っているとしても、全体を動かしていくシステムは必要です。よりスムーズに、より迅速に全体が動いていくための仕組みこそ、政治だと言えるのです。
その意味では、そこには“主義・主張”の違いは見られないはずです。なぜなら、同じものを目指すからです。それは、「人々が当たり前の心で生きられる世にしていく」ということであり、そのためには何をどう動かしていくのが適切か、どこに誰を配するのが望ましいかも共通の認識のなかから生まれます。誰か特定の者の利益のために国や社会を動かそうとすることなどあり得ません。ひとところに力や金銭、情報を集中させるのではなく、ひたすら偏りなく、とどこおりなく、循環を目指す仕組みであるべきです。
それぞれの人の、国の、持てる力をいかにいかすか。力があるほど多くを得るような仕組みではなく、力を持つ者、持つ国こそが多くそれらを役立てるような仕組みを作っていくのです。
必要としているところに必要なものが、必要な分いきわたるような、物の、金銭の、エネルギーの流れを作るのが、“仕組み”であるべきです。
それが浸透していくにつれて、人と人との区別というもの、国と国との区別というものは薄くなっていくはずです。それぞれの“違い”を前提とした、相互扶助が成り立っていきます。それは全てのものの垣根をはずしていくことになるでしょう。“政治”という、全体を動かし、また、まとめていく働きにふさわしい能力の持ち主こそが、そのメンバーとして力を発揮すべきです。全体の、人々の、あるべき姿を理想として揚げ、そのために全力を尽くしてくれる者こそ、この仕組みのリーダーとなっていくのです。しかしそれはあくまでも“働き”であって、“権力”や“権力の集中”ではなく、まして“全体主義”でもありません。
あなた方が皆知っている、「人と人とは助け合うべき」「人は人に優しくするべき」「困った人には親切に」「いつも感謝の心で」ということがごく当たり前になされる世に、今の世を移行させ(そこでは大きな抵抗もあるでしょう)、それが当たり前の「人々の生き方」となるように動かしていくこと、誰もが喜びを味わい、感じ、共有しながら生きられる社会としていくこと、そのためのシステムが“政治”となるべきです。
特別な“感覚”、普通の人々とかけ離れてしまった“感覚”によっては、それは実現できません。何より、そのシステムのなかに自分の働きを見出そうとする人そのものが、人のあるべき姿、全体のあるべき姿をしっかりと心に描くことができていなければならないのです。
ありのままの心で生きようとする人が、ありのままの心で皆が生きられる世を目指すことで、それを“形にしていくうえでの”システムができていくのです。力や力の集中・偏り、制限・規制、というところに喜びを見てしまう今の仕組みは、エネルギーの循環、相互扶助、自由と解放というところに喜びを見出せる仕組みへと変わっていくのです。
今の世の仕組みは、あなた方が長い(あなた方にとって)年月をかけて作り出し、定着させてきたものです。歩み続けた結果が今の“かたち”なのであり、それはそうたやすく変わるものではないと思っているでしょう。・・・それは、その仕組み、その社会が「人々に幸せをもたらすものであれば」です。そこに生きる人々が幸せだとは思えないからこそ、それまでの仕組み・社会を変える動きをあなた方は繰り返してきました。そして今の世が作られたのです。けれども、今のこの地上界を「人々が幸せだと感じながら生きられる場」だと思える人が、一体どのくらいいるのでしょうか。
多くの人が「幸せ」とは思えない現実のなかにいます。しかしそこでは「どうせ変えることはできない」「どうせ変わらない」というあきらめしか持たず、そのエネルギーは強く共鳴しているのです。本当はそうでないことを知り、変わってくれたらと思いながらも、「どうせ」の思いの方が強いのが現状です。だからこそ、心が悲鳴をあげるのです。
「このままでいいはずがない」「だけどどうしようもないじゃないか」という共鳴をはずし、「やはり、皆が幸せでいられる方がいいに決まっている」「本当の心で生きていきたい」「そういう世界にしたい」「そうなったらいい」という心の共鳴に変えていくには、あなた方自身が「人の心の力」を信頼し、「心を合わせていくこと」に希望を持つことが必要なのです。
動かないと思っていた全体を動かし、あるいは変えていくのには大きなエネルギーが必要です。そのエネルギーとは人々が希望を・喜びを求める、目指すというエネルギーなのです。苦しさをなくすためでなく、嬉しいことを獲得していくためであるならば、人の心はひとつになりやすいのです。同じ喜びを思い、同じ希望に向かうから、より大きなエネルギーのうねりとなるのです。
いつの時代にも、世の仕組みを変えたのは「幸せを求める人々のエネルギーの共鳴」でした。その力はとどめられることも、押さえられることもなく、それまでの仕組みを押し流してきたのです。
そして今回は一部の者たちの幸せでなく、誰もがという「全体の幸せ」を求めていく心の共鳴をめざしているのです。それができれば、いかなるものをも動かしていくことができるのです。求めるものと目指すもの、希望と喜びが全て重なるからなのです。