霊界通信 「地上界は本来どうあるべきか」悠々塾ホームへ

 このままいくと地上界はどうなるのか(概論)

今の地上界が「皆が喜べるところではない」ことも「心から幸せだと思える者がほとんどいない」ことも、あなた方は分かっています。けれども「それはそれでどうしようもないじゃないか。」と半ば他人事のような思いで見ています。自分たちのことでありながら、自分たちのこととして正面から向き合おうとしないのは、あなた方人類の歩み続け、“発展”し続けた(と思っている)結果がこの状態なのだという認識があるからです。
あなた方が思うように、確かに“人類”はさまざまなところで“発展”してきました。“進歩・向上”もありました。しかしそれのみかと言うと、そうではありません。自分たちの力では解決が難しい問題が時代を経るにつれて、次々と出てくることに、気づいている者、知らされている者はむしろ少ないでしょう。あえて問題を見ていこうという姿勢を持つ者も少数です。それは“人類”が自分たちの“快”や“喜び”に焦点を当てて進化しようとしてきたからなのです。見る目を持って自分たちのまわりに目をやれば、たくさんのことが飛び込んでくるというのに。

あなた方はそれぞれに、今回の人生で目的を持って生まれてきます。その“目的”とは大きくふたつに分かれます。ひとつは「与えられた力・能力によって全体に貢献していくこと」であり、もうひとつは「それまでの人生で積み重ねてしまった心のかげり(カルマと言います)を清算し、さらに喜ぶ心を広げていくこと」です。この、カルマとは、個人のなかにあるだけではなく、個人間、家族どうし、地域、民族、国どうし、そして人類全体にもあります。本来ならば、ある人生で作ってしまったカルマは次の人生で解消されていくべきもの、それを乗り越えてさらに心を広げるためのもののはずなのです。あなた方の心が次第に「愛情」を広げ、深めていくことこそが「進化」なのです。
しかし、あなた方が人類として歩み始めてから今日に至るまで、前の人生で作ったカルマを解消し、進歩していくことのできる者はそう多くはなかったのです。むしろ、また同じ過ちを繰り返し、カルマを深めてしまう結果となったのです。もちろんそれも、個人のレベルのみのことではなく、さらに大きなレベルにおいても同様でした。ですから今の地上界には、清算しなければならないものが渦巻き、絡み合い、層を成していると言えるのです。もちろんそれは見えません。しかし起こってくるさまざまな問題・トラブル・現象はそういったものが形を成したものだと言えます。そのひとつひとつについて、ここで解説を交えるわけにはいきませんが、何の理由もなく“現象”は起こらない、ということです。

あなた方それぞれに何か問題が起こった時、あなた方はそれを何とかして解決しようとします。そこでは、どうしてそうなったのか、だからどうしていけばいいのか、という思考をします。しかしそこで忘れてならないのは、「自分だけでなく、皆が(またはその人と自分が)、どうすれば嬉しいか」、「どうすればその人のためになるか」という視点で考えるということです。
解決の糸口は「喜びに向けて」というところにあるのです。

これを踏まえて、改めて地上界を見てみれば、皆が喜べる状況にないことはすぐ分かります。それをどうしていくか、どう考えていくかはこの通信によってこれから綴られます。
しかしこの通信を貫いている視点は「喜びに向けて」というところですから、それを現実のもの、実現可能のものとしてとらえにくい人もたくさんいるでしょう。どうすれば健康になるかを聞いてもなかなかそうはできず、しかし自分が病を得て初めて、「ああそうだったのか、ならばそうしていこう」と思えるのと同じです。

今の地上界において最も問題となっているのは、「さまざまなものの偏り・集中・独占」です。それがある限りは、決して「皆が喜べること」にはなりませんし、「誰もが安心すること」にはつながりません。とどこおることなく、物やエネルギーや情報が全体にいきわたるようにと人々が思っても、なかなかその動きは始まらないでしょう。しかしだからと言って、そのままでいいはずがないのです。この、偏り・集中・独占がそのまま手つかずであればそれをもとにして次々と派生してくる“かげり”が実に多いのです。少しでも多くを手にしようとすること、他を出し抜こうとすること、偽りや欺き、さらには支配に至るまで。
地上に生きるあなた方全体が、本当の「進化」を遂げていくプログラムは、地球という星が形づくられる前からありました。その流れのなかには、もちろん「かげり」の発生も含まれます。「かげり」を乗り越えることにより、それよりさらに大きな「光」の心を獲得していけるからです。その意味では、人類がさまざまな問題を抱えるのは“予定通り”だとも言えます。しかしそれはそれを乗り越えることが前提だからこそです。 乗り越えることがなければ、その先にあるのは崩壊と「やり直し」なのです。重なり合ったかげり(カルマ)が極限に達しようとしている今の時期こそ、その分かれ目だと言えるのです。それを乗り越えて新たな地上界へと再生できるのか、それとも一旦全部壊してゼロからやり直すのか。
ある時期から、霊界側からの働きかけが強まったのは、あなた方人類に“前者”であってほしいからです。地上に生きる者たちが、できれば喜びのなかで新しい地上界へと移行してほしいからです。崩壊に伴う苦しさを味わわせることを、こちら側の者たちも避けたいのです。
しかしながら、先にも述べたように、「病となって初めて自らの肉体や心を見つめ直すことができる」のと同様、厳しい事態が発生して初めて、あなた方は気づいていくことが多いようです。
最も問題となる「偏り・集中・独占」については特にそうです。それが解消されないのであるならば、改めて、「そうはできない状況」がもたらされます。それは、「独占しようとしても、しようと思う“物”自体がない」という状況です。そこからたくさんのかげりを次々と生み出す“もと”であるならば、そしてそれを改められないのであれば、「無い状態」にするしかあるまいということなのです。それは、天候異変で農作物が採れなくなることであったり、家畜や捕獲されるものの病や激減であったり、エネルギー源の枯渇・事故による生産の停止であったりします。これらのなかの、どれかひとつをとってみても今のあなた方にとっては大問題です。ダメージが少なくてすむものなどありません。それに加えて、“コントロールされていた情報”は“コントロールできない状態”へと陥り、それがさらにあなた方の不安や恐怖をかき立てていくことになるでしょう。
そういったなかにおいては、どうしても「自分が手にする」ということをやめさせることができずに、いかなる手段に訴えても物を得ようとする人の“かげり”は増します。しかしそれも時間の経過とともに手放さざるを得ないでしょう。そしてあなた方は、ようやく「分かち合うこと」や「与えてもらうこと」の喜びに気づき始めるのです。「助け合う」ことの必要性から「助け合う喜び」を知っていくのです。もたらされた、どうしようもない状況を喜べるものにしていくためには、それぞれの力を集め、また、ふさわしいところでいかすことが望ましいのだ、とも分かります。それまで力をふるっていた“金銭”は何の役にも立たず、「人の心」こそが、多くを救い、最も役に立ち、力になり、希望や喜びをもたらしてくれるのだとやっと実感できるのです。

そのことにめざめれば、与えられた「心の力」をさまざまにいかすことが可能となるでしょう。可能性と力を秘めた見えないエネルギー、心の力に対して、それを“希望”としてあなた方は歩み直すことができるでしょう。
しかしこれもまた、“希望”を糸口とした見方であるとも言えます。次々と発生する事態のどの時点で、あなた方が気づいてくれるのかが、その先の全てを決めていくのです。繰り返し起こっていく「どうしようもないこと」「手の打ちようのないこと」のなかで学ぶことができなければ、その時は、あなた方は「やり直し」を選択した、ということになるのです。
それは地上の全てのものを失い、崩壊した状況のなかではもう生きられる人はいないということです。つまり一旦、全ての者が地上を離れ、再び「ふさわしい時期」を選んで(それはあなた方の時間では、何万年という単位以上のものです。)地上界を再び形成していく者と、別の星に別の形で生まれていく者と、そして、その魂をエネルギーとして宇宙全体に役立てることになる者(魂そのもので存在できなくなるということ)とに分かれます。
これはあなた方をおどかすために伝えているのでないことをぜひ分かって頂きたい。「このままではいけない」「このままでいいはずがない」と分かっている人には、変えていきたいという意志を、まだ気づかずにいる人には「このままではいけないということなのか」という気づきのきっかけを、それぞれ持って頂くためのものです。
それでも、実際に「そうしていくのだ」と踏み出せる人は少ないかもしれません。けれども、皆が、誰かが、ひとりが動き出すことなしには、「人類の歩みのプログラム」は、「そうせざるを得ない状況」を作っていくように作用します。それは誰にも止めること、阻むことができないのです。たとえ霊界側であっても、です。私どもにできることは、あなた方があなた方の意志に基づいて、“変化”を迎えられるよう、援助していくことのみなのですから。