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 科学・技術・産業

あなた方は「幸せになるために」さまざまなものを発展・発達させてきました。そのなかで変化の最も顕著だったものが、科学・技術・産業だと言えます。これらの発達のおかげで、あなた方が手に入れたのは、「合理性・効率性・生産性」ということでした。しかしそのことが逆にあなた方を縛るものとなったり、心を縮めさせていくものになってしまってもいます。手に入れたものと引き換えに手放したのは、「心の豊かさ」だったのです。
この3つの分野はお互いに切り離すことができないものです。密接に絡み合いながら相互に発展してきました。
ひとつの発見がいくつもの技術を生み出し、それが具体的なものとなって反映される。本来はその先に“人々の幸せ”がつながっていたはずなのです。
地上で繰り広げられるさまざまな事柄は全てつながり合い、必ず人々に影響します。だからこそ各分野それぞれが、共通の目的・共通の認識として、「全体の(人々の)幸せのために貢献する」ということを明確にしておかねばならないのです。
何かを知り得たこと、何かの情報を得たことが、特定の人々の利益や喜びにのみ使われるのでは、それはさまざまな形(情報・エネルギー・物・力・利益)での偏りを生じさせることになるのです。
知るということ、解明するということ(科学)は、それそのものも喜びです。未知の世界に足を踏み入れ、その世界が解き明かされていくことは、人間にとっての大きな喜びです。しかしさらにそれを広げ、多くの人々と共有し、貢献していこうとするならば、その情報をひとところにとどめることなく、情報としていきわたらせて頂きたい。真実を探求する真摯な態度を、情報を獲得した後にも貫いて欲しいのです。
ただ、いかに“科学的”と言われる世界でも、論理性や客観性に欠けた視点で判断してしまう場合と、物質的側面からのみの視点によって、説明不可能な状態に陥ってしまう場合とは問題点としてあげられます。「なぜ、どうしてそうなるのか」という疑問に答えていこうとして、物質を限りなく細分化していったとしても、“現象”は見えてきますが、“原因”にはたどりつけません。微細になればなるほど説明のつかない事柄の多さが現れてくることを、あなた方はよく知っています。<br>しかしそれに対する答えもあるのです。あっても見ようとしていないだけなのです。「よく分からないから」「見えないから」という理由で、科学的でない、とされている「心の力(エネルギー)」「見えないエネルギー」がそれです。目には見えませんが、こういったエネルギーもまた、一定の法則のもとに作用し、同時に、使うこともできるのです。一貫した法則に貫かれているものは、「物質ではないから科学的ではない」として、その視野からはずされるべきものではありません。物質的視点からだけでは説明がつかず、説明が困難なことも、この、見えないエネルギーをその視点に合わせもつことによって解決の道が見出せるのです。“物質”という形あるものの限界を越えることができるのが、見えないエネルギーなのです。
「科学」において、見えないエネルギーが受け入れられ、取り入れられていくことは、即、「技術」の分野に、そして「産業」へと反映されていきます。“心の力”“見えないエネルギー”の作用が法則として一般化されることは、それを用い、応用することができるからです。まして“心”とは誰にも与えられているものであり、しかも無尽蔵なものです。そのエネルギーを使うことで、技術界・産業界が行き詰まっている物質的限界、エネルギー的限界を打ち破ることができるのです。
人々の暮らしを支え、安心を確保していかねばならない産業界にとっては、このエネルギーの存在はこのうえない朗報のはずです。物質に頼ることは、物質によって制約を受け、限界を与えられてしまうことだからです。排出される副産物の問題も、大きな問題として抱えているのですから。ただ、これは「物質」を否定しているということではありません。物質によって人は暮らしを営み、社会の動きがあるのですから。大事なのは、物質に頼りきっていたところに、見えないエネルギーを導入し、あるいは、人のもつ心のエネルギーに目を向け始めることで、今までよりも、もっと柔軟かつ広がりをもつ“人々の暮らし”に変わっていけるということなのです。“もの”によって満たされるものの限界を知ったあなた方だからこそ、そして、物はそれを動かしていく“心”によってその使われ方が変わるのだと知っていくからこそ、“もの”と“心”とを融合融和させた世界を作っていけるのです。

実際に、“心の力”によって「説明のつかない現象」を起こすことは可能です。そしてそういった能力を有する者たちも大勢います。この先、そのような能力を持つ者が、今まで以上に現れてくるでしょう。自分がそういう能力を持っていたことに気づく人もいるはずです。しかしながらそこで忘れてならないのは、「与えられた能力(力)は、人々の喜びに貢献するために使っていくべきものである」ということです。手にしている情報・エネルギー・物・力などを自分のため、特定の人々のために使うことで偏りやとどこおりが生じ、「皆が幸せでいられない社会」となってしまったことを、繰り返してはならないからです。“与えられているもの”は全て、“自分ひとりのもの”ではないのだということ、喜びを分かち合うことに使うからこそ、その“与えられているもの”は「喜び」なのだと言えるのです。
このことを共通の認識として、“心の力”“見えないエネルギー”を見、そして求めていけば、必ずそれはもたらされます。なぜなら、喜びを広げ、循環させ、共有していくことを動機として求めていくことは、そこに「喜び」の通路を開くことになるからです。とどめたり、ためこんだり、ということがエネルギーの通路を狭め、あるいは閉じてしまう要因なのです。
あなた方のまわりに満ち満ちているエネルギーを取り入れること、心に与えられている力を発揮していくことの道筋は、この“動機”あってこそ与えられるものなのです。