霊界通信 「地上界は本来どうあるべきか」悠々塾ホームへ

 宗教

地上に生きる人々がなぜ“宗教”(と呼ばれるもの)に帰依するのか。それは確かなもの、信ずるものが欲しいからであり、そこから安らぎ・安心を得たいのであり、信ずることの喜びを実感したいからなのです。それは逆を言えば、確かなものがない、信じられるものがない、安心できない、という気持ちを抱きながら暮らす人々が多いことの表れなのです。目には見えない“神”というものの存在を揚げることにより、自分たちの計り知れない、そして想像を越える存在からの恩恵、愛情、エネルギーというものを「(不確かだとしても)それを信じたい」「信じる」ことで大きな喜びのなかに生きたいのです。

霊界に住まえば、(神と言い換えることのできる)大いなる意志の存在は大前提であり、疑う余地のないものであり、また各段階における実感でもあります。
疑問をさしはさむ余地のない事実なのです。そしてそのエネルギー、注がれる“愛”のなかに生きることも、そのまま現実なのです。それは霊界というところが、愛や感謝や思いやり、そして真実というものでつくられている光の世界だからです。
残念ながら地上とは、その光のみの世界ではなく、憎悪、偽り、欺き、悲しみ、というかげりをも合わせ持つ世界です。ですから、あなた方は“実感”できないのです。 自分たちがいかに愛され、慈しまれているかということを。あまりにもかげりが深くなれば、その目はくもり、耳はふさがってしまうからです。
けれどもやはり求めるのです。それぞれのなかにある“心の光”がさらに強く大きく輝く“光”を。その求めが“宗教”へと人々を向かわせるのです。

本来は「人々を教え導くもの」「摂理と愛とを説くもの」が宗教のはず。そしてそれをいかに人々が日々の暮らしのなかに、人々との関わりのなかに反映させていくのかについて説き、加えて、実践していくもののはずです。
愛や感謝や慈しみを伝えていくことのために、多額の金銭や大がかりな儀式など必要ありません。人々が「人としての心」「人として当たり前の心」で生きることそのものが、「神の心」に近づいていこうとすることなのですから。

特定の“人物”を崇拝することよりも、自分の身近にいて、その心の輝きによって人々に喜びをもたらす人こそを尊敬し、評価し、学んでいくべきです。たとえそれが、ごくごく普通の人であっても、その人が人々の心を照らす光を発していることに変わりはないからです。
あなた方がこれからもっと信ずるべきは「人の心」です。(もちろん、霊界から の、そしてさらに大きな意志からの導きや守護、そして慈しみのエネルギーは絶えずあなた方に注がれています。それを踏まえたうえでの話、です。)まだまだあなた方は知りません。心と心が通い合う喜び、愛し愛される幸せ、信じ合うことの強さ、心のエネルギーの素晴らしさ、というものについて。頭で理解できる者がいたとしても、それを“実体のあるもの”として実感できるに至るには、今よりさらに「人の心」というものを見ていく必要があるのです。
心で味わう喜びは、あなた方の心の波長をより精妙にしてくれます。そのことが、あなた方の心や意識の次元を高めていくのです。それによって、絶えず注がれているエネルギーに、より同調・共鳴しやすくなり、そのことが、“心”さらには“見えないもの”“見えない世界”をより実感しやすくするのです。

人の心に救いや希望をもたらすはずの宗教、それはつまりは人の心を自由へ向けて解放するということです。今の宗教のなかには残念ながら、さまざまな事柄によって人々の心を逆に、「縛って」しまうものがとても多いのです。心の自由や解放とは、つまり、その人がいろいろなこと、いろいろなものにとらわれず、ありのままの(自分らしい)心で生きるということなのです。(もちろん、“自分勝手”という意味でなく)そしてそれは、“宗教”という何か特別の形によらなくともできることなのです。
私どもは何かを信じたい、信じようとする人々を否定するのではありません。そのことによって実際に心に光を持つことのできる人たちがいるのですから。
けれども忘れてはならないのは、少なくとも地上に生きるあなた方が、神の全てを知り、語ることなど、できはしない、ということです。“悟り”というものを得たとしてもそれは、ごく一部にすぎないのだということをここに断言致しします。

学びを重ねていくことは、神と呼ばれる大いなる意志からの“愛”に近づいていこうとすること、そこに貫かれている真理を少しずつ分かっていくことです。そして全てを感じ、全てを分かるということはないのです。なぜなら、ひとつひとつの魂が、学びという進化を続けているのと同様に、“神”もまたとまることのない進化を続けているからです。

ここで重ねて伝えます。
あなた方がよく言うように、「神は人の心のなかにもいる」のです。(「人の心のなかに」(のみ)という限定ではありません。)ということは、人の心と触れ合い、喜び合うことが、いかに大きな喜びと幸せにつながるかが分かるのですし、人を傷つけ、はずかしめることがいかに「罪深いか」も分かるでしょう。
人として地上に生きる者たちは、人としての自分も、人としてのまわりの人も、同じように大切に扱い、尊重し、共に学び、助け合うことで「進化」していくのです。 霊界側からの、そして“神”と呼ばれる大いなる意志からの導きと守護と慈しみのなかで。