霊界通信 「病と癒し」悠々塾ホームへ

 誰かの病を癒すために

もしもあなたの大切な人や、知り合いが病を得た時、それが近代医療での治癒は難しいとされた時、「何とかして治してあげたい。」「何としてでも治してあげたい。」という気持ちになるはずです。初めはその衝撃で打ちのめされ、失意の底に沈んだとしても、人の心は喜びや希望(「癒される」ということ)を求めて動き出そうとするのです。
そういった場合、多くの人は何らかの手立てを考えます。「これが良い」と評判の食品だったり、治療法だったり、見込みがある、前例があるものは試してみようとします。しかしそれにも限界はあります。病を得た本人の気持ち、経済的なこと、時間的なこと・・・。
けれども、いつでも誰にでもできる「癒しの方法」があるのです。
それは全ての人に与えられている「心(の力)」を使う方法です。特別な人だけができることではありません。その人のことを心から思っている人、その人のために自分が役立ちたいと思う人、であればそれでいいのです。癒しの基本は「その人を思う心」だからです。

病を得、しかもそれが“回復の見込み薄”であるという時、当然のことながら本人もまわりの者も気持ちを沈ませてしまいます。もしも表情・言葉・行動に表現されなかったとしても、心の内は穏やかではないのです。
癒そうとする者は、そういった人(たち)に対して、彼(ら)のいかなる気持ちも穏やかに受けとめようとする心構えが要ります。“共感”することは大事ですが、彼(ら)と同じように心を乱したり、嘆いたりすることは本人のためにはならず、むしろ重い心の共鳴を起こしてしまいます。
ですから癒そうとする者は、“健やかさ”へ向けての希望や日々を喜ぶ楽しい心を十分に広げ、ふくらませていてほしいのです。その明るさや輝きのエネルギーが、重い心を少しでも軽くしていけるように。
人は全て導きのなかにいるのだと信じ、その人を思うことに全力を尽くしてください。もしも思うような結果が得られなかったとしても大丈夫です。あなた方の思いやりや愛情のエネルギーをたっぷりと注がれたその人は、心満たされた状態で生きる場を移すのですから。「もし〜でなかったらどうしよう」という不安や恐れをできるだけ排し、その人の持つ心と肉体の力を信頼してください。

実際にその人に(癒しの)エネルギーを注ぐにあたっては、「こういうスタイルで」という決まりはありません。大事なのはその人の治癒を願う心だからです。
患部に手を当て、または少し離したところで手をかざすということで(形としては)いいでしょう。その時に「自分が治す」という気持ちではなく、全ての人に向かって絶えず注がれている慈しみのエネルギーが、この人の健やかさの回復をもたらしてくれるよう、治るようにと、ひたすら祈るのです。あなたを通路として癒しのエネルギーがその人にさらにしっかりと注がれるのです。時間や回数に決まりはありません。また、その場にいなくともエネルギーは届きます。離れたところからでも祈りは届けられる、ということです。

その人とあなたの心の波長が合えば治癒がもたらされるでしょう。しかし全ての場合がうまくいくとは限りません。もしも望んだ結果が得られなかったとしても、見えないエネルギーを否定せず、機会が与えられた時には、躊躇(ちゅうちょ)なく、働きかけて下さい。
そうしていこうとする意志が、通すエネルギーを大きくするのですし、そうしていくことで、より人の役に立つエネルギーを通すことができるようにもなるのですから。