霊界通信 「病と癒し」悠々塾ホームへ

 自分の病を癒すために

病を得て初めて、人は立ち止まって自分の歩みを、生き方を見つめることができます。(人によってはその機会がトラブルのことも、悩みのこともありますが)自分の生命を見つめ、自分の心を見つめ、それだけでなく、自分のまわりに共に生きている人をも見つめることになります。
今まで目にしなかった、人から向けられる気持ちを有り難く思い、大きく感謝できることもあるでしょう。いかに大切にされているかが分かり、それを喜ぶこともできるでしょう。
しかし逆に、自分の苦しさやつらさを分かってはもらえないことで、心をさらにかげらせてしまうかもしれません。思うように気持ちが通わず、さらに寂しい気持ちが増す人もいるでしょう。
自分について見れば、日々の暮らしのなかでの至らなさ、不十分さに気づく人もいます。今までよく頑張ったと自分を認める気持ちを持つことができるかもしれません。なかにはどうして自分だけが、という思いから、健やかな人々へかげりの気持ちを持ってしまう人もいます。

病を得るという重大事に際して、あなたが今まで以上に感謝・喜びという気持ちを持つことができれば、それは健やかな方向へと動くエネルギーを自らが発することになり、それに共鳴する癒しのエネルギーがさらに流れ込むことになります。
それまであなた本来の心の輝きをありのままに出せなかったとしても、自分らしく生きようとし始めることで、あなたは「そもそもの健やかな自分」を取り戻すことになります。それもまた癒される道筋です。
もしも不平不満・不安・心配・恐れ、というものを拭い去れず、以前の状態への執着が取り去れなければ、そこから状況を変えていくことは難しくなります。「喜び」のないところに「癒し」はないからです。

あなたがあなた本来の姿で生きようと意志することは、それまでの自分から新しい自分に生まれ変わること。人と喜びを分かち合い、自分の優しさ、本当の気持ちを表現しながら生きたいのだ、と、そのために健やかな肉体でありたいのだという願いは、人に喜びをもたらすため、人と分かち合うため、自分らしく生きるためという今の人生の目的にかなっていることなのです。ですから、「健やかな心と体の回復」がもたらされるのです。
今までの自分にとどまらず、希望や喜びに向かって歩もうと心を動かすことこそが、癒しの道筋なのです。

自らの至らなさ、不十分さは後悔するために見つめるのではありません。それを踏まえて、どう変わっていきたいかと意志するための材料です。ですから、自分のかげりを見ることをこわがらなくていいのです。目をそらさなくてもいいのです。その先にある喜びのために、勇気を持つこと、それが病を自らが癒していくうえでの力となるのです。

原理的には、このような心の動きがあれば全て病は癒されます。しかしそのように心を動かすことはたやすいことではありません。(だからこそ人の手助けがあり、また計らいや導きがあるのです。)
癒されるか、癒されないかを決めるのは、偶然や病の種類ではないのです。何より本人が(癒していこうとするにあたって)どう心を動かしていくかが最も大切なことなのです。