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 花粉症

この症状に関して伝える前に、前提として認識しておいてほしいことをまず伝えたい。
あなた方の生きる“地球という星”がひとつの生命体であるならば、そこに棲息する生命それぞれが受け持つエネルギーがある。それら全てが調和して、ひとつの生命体となっているのであるから。当然のことながら、樹々にも草花にも担っているエネルギー的要素がある。人間もそのなかのひとつである。ならば、樹々とも草花とも調和・共鳴して生きていられるはず。しかし、それらのものに対して示す反応がアレルギーというやっかいなものならば、樹々や草花の担うエネルギーと共鳴できずにいるということになる。これらのことを踏まえておいて頂きたい。

もともと樹木が果たす役割は、酸素の放出、二酸化炭素の消費(吸収・浄化)、水分の保持・保全・国土(土)の保持・保全である。あらゆる生命が生きるに必要な酸素や水と深く関わっていることから考えて、地球そのものにも、そしてそこに生きるものたちにも極めて重要な存在だと言える。
その意味で次々と樹木を増やしていくことは大事なことではあった。
「杉」が担っているエネルギーの要素は「即」。これは「すぐに」「急速に」「即座に」と「理にかなって」「流れに沿って」という大きくふたつの意味を持つ。そのエネルギーが表現された樹であるからこそ、生育が早い、まっすぐ伸びる(直線的)という性質を持つのである。しかしその性質も自分たちの利益を求める動機が加われば、意味合いが変わってくる。
ある時期以降(戦後の経済発展の時期)人々は、「より早(速)く」「より効果的に」「より合理的に」「効率よく」を価値基準として生きてきてしまった。それらを優先した行き方、暮らし方によって「発展」「繁栄」を手にしてきた。しかし、そういう価値基準やそういう社会、生き方、暮らし方に疑問や抵抗感、拒絶感を抱く人々が次第に増えてきた。意識はしていなくても何となく苦しいと感ずる人々も増えてきた。しかし、それらの価値基準やそれに基づく社会のあり方が急速に変わることはなく、むしろ、そのエネルギーは増幅され続けている。違和感を持つ者が多いにもかかわらず、である。
よって、そのエネルギーを担っている「杉」の花粉が飛散することは、さらにそのエネルギーが広がり、蔓延することを意味する。そこに反応する人が杉へのアレルギー症状を呈するのである。

「ひのき」のエネルギーは、「保」。これは「守ること」「保つこと」「健やかにすること」という意味を持つ。
今までの生き方や価値基準、自分が手にしているもの、自分の暮らし、自分自身の心、さまざまなものを人は守りたい。確保していたい。それは今の時点での自然な欲求であろう。しかし本来の健やかさとは、必要な分を得、それを使い、満たされるところにある。過剰に守り、過分に得ることは健やかなことではない。本来の健やかさのために必要な保持や確保を越えていくことは、「保」のエネルギーとは共鳴できなくなるのである。そこにアレルギー症状が出る。

いわゆる「雑草」は、「排除」「拒絶」「嫌悪」・・・というエネルギー要素を受容する役割を持つ。人間や動物の持つ、「受け入れない」というかげりに相対して、それらを引き受けてくれるのである。ひとつひとつの「雑草」を、事細かく分けることはしないが、それぞれが「受け入れないこと」にまつわるエネルギーを受容してくれている。
それらにアレルギー反応を示す、ということは「受け入れること」が苦手であったり、抵抗感が強い場合であり、「排除」「拒絶」「嫌悪」という状態にある自分を受け入れられない場合(それが苦しい、それが辛い、それが悲しい、ということ)である。
アレルギーの症状そのものは、原因となるものが担うエネルギー要素とその人の心の状態との不調和を、鼻水、くしゃみ、咳、かゆみ、違和感によって排出しようとするものである。症状の改善や治療は望めるもの。
今の社会の価値基準や暮らし、生き方に違和感や抵抗感を抱いているところから、それらを変えていこうと思うことができたり、実際に、それらの価値基準とは違う基準(人間が本当に大事にするべきは人の心である/物よりも心を優先させたい/人と心で関わりたい/人のために尽くしたい/・・・)に従って生き始めたり、あるいは、向けられる排除、拒絶、嫌悪を越えて人を許していくことができたり、そういう関係性が解消できたり、受け入れてもらえる喜びを知ったり・・・といった“変化”によって。

数知れない生命たちと共存しているのだから、人間が人間の都合に合わせてそのバランスに手を加えることは本来許されることではなく、不調和をもたらす「もと」を作るのである。しかし、不調和な状態を、地球全体のみならず、自らの社会や人生、暮らし方生き方を変えるところから調和に向かわせて頂きたい。

補)日本で特に「花粉症」等のアレルギーが顕著なのは「杉」のところでも伝えたように、ある時期以降の人々の心の急激な変化に理由がある。日本以外の国での科学物質に対するアレルギーが顕著なのは、その国ならではの人々の心の動きの様相との関連があるからである。