霊界通信 「家族ということ」悠々塾ホームへ

 兄弟・姉妹

霊界での約束のもとに、今回の人生で家族として縁を結ぶ者どうしの間で、兄弟姉妹の場合、特にテーマとなるのは“比較”ということです。人と人との“違い”ということが、他人との間では冷静に受けとることができたとしても、日々暮らしを共にして成長する者どうしの間では、そこからさまざまな“かげり”が生じます。つまり、“違い”を“差異”または“優劣”として受けとめてしまうということです。
優れている者、評価されている者の方は、優越感または優れている自分を出すまいとする抑制、のふたつのパターンを踏みます。劣っている(と思ってしまった)者、評価されない者の方は、劣等感、反発、または劣っている(と思っている)自分とは違う自分を見せようとしての過剰な行動または、自分をさらに出すまいとする行動、といったパターンになります。
もちろんそれらを越えて(“違い”を越えて)相手のよりよきところを見ていこうとする場合もありますし、その場合は助け合い、力を合わせながらという関係性を築けるのです。

人の心がかげりを抱く最も大きなきっかけに、この違い・差異・優劣ということがあるのです。自分の力ではどうしようもない、この“与えられたもの”“備わったもの”そして“与えられなかったもの”“備わってはいないもの”それらを一旦受けとめて、そういった自分としてその自分の力をいかしながら生きていこうとすること、そのために、自分の身近に自分と違う者が配されるのです。そしてそれは同時に、自分を受け入れ自分として歩むだけでなく、相手を、その人をありのまま見、評価し、共に喜び合えるよう生きていくための配剤でもあるのです。
“与えられている者”は“(比較において)与えられていない者”にどう関わり、働きかけていくのか。また、どう手助けしていくのか、それを日々の暮らしのなかから学び、実践していく対象として兄弟の存在があるのです。
“(比較において)与えられていない者”は、“与えられている者”を「うらやむことと妬むこと」そして「自分を否定的に見てしまうこと」を越えて、比べての自分ではなく、そのままの自分としていかに生きていくのか、そのなかで心をかげらせずに生きていけるかどうかが問われるのです。“(比較において)与えられていない者”としての気持ちを味わうことで、社会において“評価されない者たち”に共感し、励まし、勇気づけ、ありのままの自分で生きていくことの喜びを分かってもらうための設定なのです。そこでは、“与えられなかった者”としての気持ちを味わったことが、人に喜びをもたらすうえでの力となったのだと言えます。経験し味わったからこそ分かるのですし、その人たちの心に触れ、手を貸すことができるのです。