霊界通信 「家族ということ」悠々塾ホームへ

 嫁と姑

「嫁と姑」というと、「気持ちのかみ合わない者どうし」「いがみ合い」といったイメージがつきまとっています。それは、そういう関係性にあった女どうしが多かったことを物語っています。仲が良かったり、いたわり合ったりできる場合、むしろ奇異なことのように思われたり、あるいは非常に強い“うらやみ”を持たれてしまったりするほどです。
家族というつながりが、地上に生まれる前の霊界での約束に基づいて作られたものであることから考えると、「嫁と姑」の間柄もまた約束のもと、結ばれたものであるはずです。二人の間に必ず存在する者、夫であり息子である彼を含めて、三人の間には強い“つながり”があるのです。

「嫁と姑」との間に何らかの不調和がある場合は、間違いなく二人の間に重い“カルマ”があります。今回の人生ではお互いが補い合ったり、いたわりあったり、心を通わせ合うことでそれを解消していかねばなりません。血のつながった者どうしではないだけに、むしろその解消は難しいのです。どうしても我慢できない、耐えられない、解放されたいと一方が思えば、それを理由としてその縁を絶つことが可能だからです。しかしそこではその間に立つ“彼”の存在が、それをつなぐ大きな役割を担っていると言えるのです。彼もまた、二人の女たちが改めて気持ちを重ね合えるよう、双方に働きかけねばならないのです。しかし多くの場合、かつての人生において、二人の女たちと彼との間には何らかの事情があったはずであり、彼もまた二人共に働きかけることが難しいのです。
嫁と姑の問題とは、実は二人だけでなく、三人あるいはそれ以上の者たちが絡んでいる問題なのです。

なかには気持ち良くお互いが暮らしていける二人もあります。その場合は、たとえ血のつながりがなくとも、そして夫・息子をめぐって二人の女がいたとしても、和やかさは作り出していけるのだという「お手本」の役を担っていると考えられます。
「自分たちもそうでありたい。」「仲の良いことはやはり見ていても嬉しい。」  「そうしていくには、どんなふうな気持ちでいればいいのか。」という気持ちをまわりの人たちに持ってもらい、実際にそれを目指していってもらうためなのです。なかにはかつての人生で母と娘だった者もいるくらいに、“仲の良さ”を喜び合える者たちもいるのです。

せっかく縁を結んで家族となる以上、誰もが仲良くしていきたいと思うはずです。 互いの至らなさや、不十分さ、相手への不満はあります。しかしそこでは、それによって相手に対するかげりの心を抱くのでなく、補い合うことや教え合うこと、いたわり合うことで喜びを広げていくことはできるのです。そして何より大切なのは、「嫁と姑は仲が悪いもの」という先入観や固定観念をあなた方の意識から払拭するべきです。これらは人々の間にあって共通の認識として共鳴し、エネルギーとなります。ちょっとした何かで気持ちをくもらせてしまった時、そこにこのエネルギーが作用すれば、相手への気持ちは“仲が悪いもの”の方向へと動きやすくなるのです。あなた方全体の意識が「やはり仲良くありたいもの」というところに移り、それが共鳴してエネルギーとなっていれば、多少の行き違いがあってもそこからは“やはり仲良く“の方向へと心は動きやすくなるのです。個人的な問題でありながら、人々全体がどういうことを求めていくかによって、全体から個人へ向けて作用するエネルギーは全く違ってくるのです。
今までの先入観を捨てて、望むべき姿を思うこと、これは嫁姑のことだけでなく、全てのことに共通なのだと言えます。