病を患っていらっしゃる方へ
30才男性.独身.腎臓障害。両腎が萎縮し、まったく機能していない状態。尿は数年間全く出ておらず、週3回人工透析を受けている。
透析歴10年以上。
あなたは子供の頃から気持ちの“やり場のなさ”のなかにいました。自分は愛されていないのではないか、自分をもっと愛してほしい、比べないでほしい、同じに扱ってほしい、自分だって甘えたい、可愛がられたい、寂しい、・・・。これらの気持ちを誰かにぶつけることはもちろん、何かで発散することも、解消することもできずにいました。「本当の自分は、こんなはずじゃない。」と思いながらも、自分の軽やかな心や愉快な気分、快活さ、といったものがだんだんどこかへ沈んでいってしまうような心の重さを抱き始めたのです。「けれどもやっぱり楽しくしていきたい。」子供は自然にそう思うのです。しかし楽しもうにも、さまざまな制限はやはりあなたの心を締めつけていきました。
自分の気持ちの持っていき場がなく、やりきれなさを募らせていったこと、自分の気持ちを受けとめ、受けとってくれる者がいないことの苦しさ。そこでたまる心の“おり”をあなたは外に出せなかったのです。分かろうとしてくれる者や、聞いてくれる者、支えようとしてくれる者、そして発散する場、それらのものが全くないならば、心の“おり”は自分で抱え込むしかないのです。それが今回の病の原因でもあるのです。日々の暮らしのなかで生じるさまざまな心の“おり”を人はいろいろな形で外に出そうとします。表情・言葉・態度そのほかには排出(呼気、汗、尿、便、鼻汁・・・)また痛みやかゆみなど。
尿が出なくなるということは、あなたの肉体に、心の毒素を含んだ“水分”が満ちるということ。本来ならば肉体を潤わせ、循環の役割を担うべき“水分”があなたにとっては負担になり、さらにはその肉体に健やかさとは逆の状態を作り出してしまう。心を潤わせてくれるはずの愛情や喜び、楽しさ、というものが与えられない、または小さくなっていくことの苦しさは、こういった反映の形をとってあなたの肉体に表れました。本当はどうしても欲しい。愛情も喜びも楽しさも。けれどもそれ以上求めることがさらに“与えられない自分”を苦しくする。
人工的に、肉体に生じている毒素を排出させることはできます。しかしそれではあなたの心と体の本当の健やかさの回復にはつながりません。応急処置の連続では健やかさは手にできないのです。
あなたが心から、「自分の気持ちを、自分の求めていた者たち(家族、特に母親に、です)に伝えていいのだ。」と思えるかどうか。「自分がどんなに寂しくて、どんなに甘えたかったか。自由に〜したい。もっと楽しみたい、と心を痛めていた。」と言えるのかどうか。「そうしたい。そう言って分かってほしい。自分の気持ちを受けとめてもらいたい。自分がどう思っていたのか知ってほしい。」とできるのかどうか・・・。
たとえあなたがそういった行動に出ても、それがすぐにかなうとは限りません。相変わらず、同じような扱いを受けるかもしれません。悲しさを通り越して怒りすら抱いたあなたが、そこまで自分を動かして求めてもまだ応えてはもらえない。その状況で、どうか、なのです。自分を分かろうとはしてくれず、受けとめようともしてくれない者たちに、再び憤るのか、それともまたさらに心を開いていこうとするのか。
動かない相手の心を越えてさらに自分の心で働きかけていくこと、自分の心をありのままに出していこうとすること、それがあなたの今回の人生のテーマでもあるのです。そうやって、自分の正直な気持ちを出し続けていくことが、やがて相手の心にも響くものなのです。そこで初めて、あなたはやっと、自分の気持ちを出してもいいのだと心から納得し、安心できるのです。それが肉体に反映された時、尿という形をとって排出が始まります。
心のやりとりによる心のエネルギーの循環は、あなたの心に潤いをもたらし、心に健やかな流れが取り戻されるからです。その心の動きや循環が、肉体における水分の動きに反映されるのです。「出していいのだ」というサインが臓器に(腎臓に)送られるのです。
あなたの本当の気持ちを分かることができずにいる者に対して、「自分は寂しかった。もっと甘えたかった。」とだけ伝えても、その者たちには“実感”としては伝わりません。
ですから、具体的に話をするのです。誰にでも深く印象に残っている場面、はっきりと記憶していることがあります。その時、こんなことがあって、本当は自分はこういう気持ちだったとありのままを伝えるのです。その時は言えなかった、表現できなかった思い、です。そして、その気持ちを聞いてほしくて、どうしても伝えたかったのだと。また、自分の本当の気持ちは今まで口にすることができなかったけれど、分かりあっていきたいから知ってほしいのだと、あなたの求めるところを伝えるのです。自分の気持ちを分かってほしいのは、本当は仲の良い家族でいたかったからだと、これからでもそうしたいからなのだ、と伝えるのです。
それは相手を糾弾するのでもなく、問い詰めるのでもなく、怒りをぶつけるのでもない、あなたの「愛し愛されたかった」「仲良くありたかった」という思いを正直に伝えるためのものです。こうありたいと願うから、それに向かって言葉を発するのです。<br>今までそうしたくとも自分の感情がそうさせなかった。けれどもそれを越えて喜び合えるつながりを取り戻そうと動くことは、あなたがひとつ課題を越えたということなのです。そして、つながりのなかにある者どうしに必ずその影響があるだけでなく、“心”とつながった“肉体”にもその影響は及びます。なぜなら肉体は心を形にして表現しているものだからです。あなたの心が動いて、ひとつ前へ進むことは、肉体にも同様の“効果”をもたらします。さらに進めばそれに対応する変化、見合った変化が現れます。健やかな本来の心に近づけば近づくだけ、肉体も健やかさに近づくのです。
しかしながら、課題としていることや、長年にわたって抱き続けた心のスタイルは、なかなか自分ひとりの力で動かすことは難しいのです。そのために、あなたにはあなたを支え、励まし、協力する者たちが配剤されているのです。心でつながった者たちからの援助は、あなたに「治ってほしい」という心を込めた“もの”であったり、また向けられる心そのものだったりします。
一般的に排出を促す、と言われている食物を摂ることや、“腎臓の機能を高める”という効能をうたったものを使うことについて、否定的見解をこちら側では持ちません。なぜなら、食品その他の“そのものの持つエネルギー”は実際に存在するのですし、それをあなたに勧める者の動機が、あなたの治癒を願うものであれば、そのエネルギーは高まるのですし、さらにあなたが、それを気持ちよく、しかも感謝とともに取り入れることによってもそのエネルギーは高まるからです。しかしこれはあくまでも“補助”です。
もし、食品その他の“もの”を使うのであれば、ウコンをとり入れてください。それを朝と夜の食事に合わせて。あなたの“食べたいと思うもの”と一緒に「食べる」ことでいいのです。薬としてでなく、「取り入れることに」喜びを感じてほしいのです。また、海から採れる食べ物を重点的に摂ることを心がけてもらえると、より、手助けとなるでしょう(海藻類のこと)。あなたにとって必要なエネルギーを送り、さらには、肉体への作用を高めることをさらに求めるならば、(見えない)癒しのエネルギーをあなたの心と体に取り入れることも考慮してください。
あなたのもつ“課題”とは、今回の人生のみのものではありませんから、そこでは、“もの”によるエネルギーのみならず、時空を越えての癒しのエネルギーを取り入れる(治療を受ける)こともお勧めします。
肉体をもって地上に生まれ、自分の課題と向き合う、ということは、その課題と心、そして肉体とがつながっているということです。「心」に関しての課題が「動かない相手の心を動かしていくこと」であるならば、自らの“動かない(機能しない)臓器(腎臓)”に対しても“動かしていくために”“動いてくれるよう”働きかけをしていかねばなりません。それが心を向けるということであり、食品その他の摂取であり、癒しのエネルギーによる治療を受けていこうとすることです。
そして、「本当はこうありたい」というありのままの心を相手に伝え、「仲良くしたい」「愛し愛されたい」気持ちを分かってもらうのと同じに、肉体については「もとのように動いてほしい」「治りたい」という気持ちをしっかりと持つのです。「どうせそうならない」というあきらめや、「このままでいい」という中途半端な肯定でなく、はっきりと自分の求める状態を心に描くのです。それは、仲良くなることであり、尿が出ることであるはずです。「こんなふうになりたい」と希望を持つことと、そうしていくために自分は動いていくのだと意志することが、心のエネルギーを高め、そして喜ばしい結果を引き寄せるのです。
編者Q.)なぜウコンなのですか。腎臓障害をもつ方には、カリウムは避けるべきものとされており、ウコンはカリウムの含有量が多いのですが。
A.)今回指定したのは“食物の摂取”ではありません。朝晩の食事の際に、他の食物とともに取り入れることを指示しました。なぜなら、この物質は大量摂取することのできにくいものですし、必要なのは成分というよりもそこから発される波動(エネルギー)だからです。
ウコンに特有のエネルギー傾向は、「調整、賦活、浄化」です。それを、その時々の食物に加えることによって、食物本来のもつ生命エネルギーを活性化させ、バランスをさらによくします。
この人の場合、肝臓・腎臓が負うところの、浄化・調整・解毒・排出の力が弱まっているわけですから、食物そのもののエネルギーバランスを整えることでより負担を少なくし(解毒への負担の軽減)、同時に、浄化・調整機能を高めることを目的とするのです。
(これが誰にでも有効ということではありません)
ただ、食物の摂取に関しては、食物・物質・成分に対する恐れ、否定的意識(悪いものとして見ること)を軽くしていき、食べることの喜びと感謝をもって頂きたいと付け加えておきます。
(*編者注:全てのメッセージがこのように長いわけではありません。)